福祉の時代の公認心理師

冬寒かった割には桜の開花が早かった。桜の花が見頃の時公認心理師になるために現任者講習が行われ、それに参加して疲れた。ただ座っているだけだから身体は疲れなかったが精神的に疲れて、それが今も尾を引いている感じである。面接の約束を完全に忘れていたりしたので相当に深いところをやられていたようだ。ダンケにお出でになったのに何の応答もなかった方には本当に済まないことであった。春の錯乱であろうか。
講習の半分以上がAIによる講義であった。これが一番楽だったのが不思議である。一番疲れたのは2日目の精神科医の講義であった。AIによる講義は心の交流がないから頭だけ働いているが、生きた人が話をすると心が動く、それが面白くないと疲れるということがわかった。これは一つの収穫であった。
講習を受けた若い人の感想に公認心理師と精神保健福祉士とどう違うのか、同じではないかというのがあった。精神保健福祉士ではもう一つ不十分だから公認心理師を作ろうとしたと考えてもいいだろう。
小学3年生で終戦を迎えた私はこれまでの日本の歴史を思い起こした。
戦後の食糧難は戦中より激しくなったと記憶している。みんなが生活に困難を感じていた。隣国朝鮮で戦争が勃発し、日本は特需景気に沸いて、暮らしぶりは少しよくなった。隣の国の不幸で日本は救われたのだった。それから次第に生活は良くなったが、産業構造が変わり北九州の石炭産業は斜陽産業となった。斜陽産業は流行語になった。戦後の農地解放で田畑を失って貧しくなった百姓の家に生まれた私さえ大学に進学し大学院進学が可能になった。そして昭和36年(1961)池田内閣は所得倍増性格を発表した。また、その年国民皆保険制度は始まり国民の誰もが保険で医療を受けられるようになった。
それから30年たって経済的に豊かになり日本人のほとんどが中流意識を持ち、人の寿命もびっくりするほど伸びた。その結果高齢者をどうするかという福祉政策が問題になり、福祉の時代になった。社会福祉士ができ、精神保健福祉士ができた。高齢者の支援には医療や福祉の面だけでなく、提供するサービスをより良くフィットさせるために支援者の心理を査定する必要が出てきた。ここに福祉サービスを充実させるための公認心理師の役割が出てきたのだと私は考えた。
戦後焼土と化した日本は15年を経て復興し、それから医療の時代になり、今福祉の時代になった。福祉が充実し誰もが安心して生きられるようになると後どうなるのだろうか。次に何の時代になるのだろうか?
みなさんはどう考えられますか