母親の祥月命日に当たって

今日3月7日は私の母親の命日である。
私が18歳、大学受験の初日、3月3日の夜脳溢血で昏睡状態になった。原因は明らかに私にある。入試の最初の時間は国語で、うっかりして時間に気づいたときまだかなり未回答の問題が残っていた。少し慌てたけれど一応時間内に回答することができた。最初の国語で時間を気にするようになったので後問題はなかった。
帰宅して試験はどうだったと聞かれたので正直に最初の国語の時間に慌てたと答えた。そのことが母親にはひどく心配になったのではないかと思う。
昭和30年頃大学受験生がみんな時計を持っているとは限らなかったので、試験時間中今何時ですかと聞くように前もって教えられたし、実際その時間に誰かが時間を尋ねたので私もゆっくりしすぎていることに気づいて慌てたのだと思う。
受験に当たって時計も買ってやらなかったことを母親は不憫に思ったのであろう。わたしは、当時時計を持つなんて考えたこともなかった。大体周囲に腕時計をしている人がいなかった。参考書だって英語の文法の本を1冊買ってもらっただけで、それ以上望むことはなかった。
母親が私のことをそれほどまでに心配していたことを母親が倒れて初めて気づかされたのだった。しかし、当時は驚きも悲しみもなかった。今もないのかもしれない。
母親を湯潅するというとき、畑に行って野菜を取って来るように父親に言われ、帰ってくると母親はすでに丸い桶の中に入れられていた。誰か親戚のおじさんにお母さんを見ておくかと言われ見たいと言った。母親は丸い棺桶に押し込められその顔は死に顔で生前とは全く違っていた。そこには母親はいないと思った。それが母親との別れであった。それ以来母親は夢にも出てこない。うっすらとした母親らしい影が昨年夢に出てきたが、母親という確信はない。棺桶に入れられた母親の顔が今も目に浮かぶ。
でも私は自分でも明らかにマザコンだと思う。私の家内は母親に似ていると自分では思う。性格は特に似ている。それに私は未だに母親が夏に使っていたゴザを持っている。いつ持ち出したかわからないが、母親の布団を片付けるとき、端っこがぼろぼろになっているゴザを捨てられないうちに密かに自分のために取っておいたのだった。何回も引っ越しをしているけれど未だに押し入れのどこかにそれがあるはずだ。私にとってゴザはマザコンの象徴である。
私の心の奥深くには母親が住んでいる。若しかしたら母親のたましいは私の身体の隅々に行き渡って私の行動を支配しているに違いない。母親は、この子は私に接するに時間が他のきょうだいより短いから何か余分にしてやるのだと言ったそうだ。機会があれば人に何かをしてあげる。それが私の行動の原則の一つである。何かしてあげて見返りを求めることは期待しない。しかし、人事面では私がやってあげたことは皆失敗した。就職の世話とか指導ということは全くうまくいていないと思う。きょうだいから離れて生まれた末っ子の甘やかしが私に必ずしもプラスでなかったように、私の人への過剰な思いやりやサービスがよい結果を生んでいないと思う。
私の心の中にあって私を操っている母親のたましいの呪縛からなんとしても逃れたいと思うようになった。可能だろうか。それが今年の祥月命日に思ったことである。