玄奘三蔵のお墓が日本にあるとは!

四国巡礼では、寺に着く度に般若心経を唱える。また、日課として般若心経を写経する人も少なくない。日課ではなくともお寺にお参りしたとき、祈りの心を深めるために写経をする人もある。その時の般若心経はほとんど玄奘三蔵訳の般若心経である。私たち日本人はこうして玄奘三蔵法師に大変お世話になっている。そのお世話になっている玄奘三蔵法師のお墓が日本にもあることを最近知った。

今中国の南京といえば、南京虐殺のことが話題になるだろう。

ところが、昭和17年、第二次世界大戦の最中、日本軍が中国南京を占領していたとき、南京の丘に稲荷神社を建設するために土を掘っていて一つの石棺を掘り当てた。それは何と玄奘三蔵のお墓だったのだ。戦乱を避けるため埋葬場所を変え、南京郊外の丘に埋葬されていたことが石棺の碑文からわかった。

この石棺が玄奘三蔵の墓と知った日本軍は、中国の専門家と共にこのお墓を調べ、玄奘三蔵の墓と確認して、その石棺を中国に返したのである。もしこれが欧米の軍隊が発見したら、きっと大英博物館やボストン美術館などに運ばれていたことだろう。

石棺をそっくり受け取った中国は早速南京郊外に仏塔を建て、そこに石棺を納めた。その時中国は、日本の仏教団体との親睦のために頂骨の一部を日本側に渡した。日中戦争の最中のことである。玄奘三蔵法師という人の高潔な人格が戦争を超越していたことが感じられる出来事である。

その分骨は埼玉の慈恩寺に収められ、その後奈良の薬師寺にも分骨されて収められ、玄奘三蔵の仏塔の中にある。

私はこのゴールデンウィーク中、玄奘三蔵の苦難の旅と中国に帰ってからの沢山の仏典の翻訳の様子を書いた、『玄奘三蔵-大唐大慈恩寺三蔵法師伝』(光風社選書)の訳者、長沢和俊氏の解題によってこのことを始めて知った。一切の苦厄からの救いを願って般若心経を唱える私たち日本人は、もっと玄奘三蔵に感謝しても良いのではなかろうか。

現在の般若心経は、玄奘三蔵が中国語に翻訳したものが使われている。その漢文の般若心経を日本人は日本語のように思っているのではないか。空海が晩年に『般若心経秘鍵』を書き、仏教諸派を般若心経によって統合しようとしたこともあって、般若心経は日本人に広く受け入れられた。

その般若心経は漢訳から「度一切苦厄」、つまり一切の苦厄を救済するという五文字が入っている。この五文字はサンスクリットの原典にもチベット語訳にはなく、玄奘三蔵の前の鳩摩羅什訳から入っていて、玄奘三蔵も省かなかったのである。一切の苦厄を救うのが般若心経の趣旨であるから、この五文字は入っていたほうが良い私も思う。

こういうありがたい翻訳をした玄奘三蔵法師に、私たち日本人はもっと関心を示してしかるべきではないかと思うが、どうであろうか。