分析家の隠れ蓑を脱ぐ

精神分析を創始したフロイトは寝椅子を使い、クライアントはソファーに横になり、分析家はクライアントの頭の方に位置して、クライアントから顔が見えないようにし、個人的な反応がわからないようにした。フロイトは心を出来るだけ科学的に研究しようとして、分析家の個人的なことがクライアントに影響しないように配慮したのである。そいうことで分析家の隠れ蓑ということが考えられた。

今もこの考え方は根強く残っていて、みなさんがカウンセラーに(カウンセラー自身の)個人的なことを聞くとたいていは答えてもらえない。ときにはカウンセラーから「あなたはそういうことが気になるのですね」とかえされてしまい、聞いた方はあっけにとられる。

これは精神分析家がもっぱら知的に考えているから継承されている習慣だと思う。人は対面しただけで相手の人柄をわかるのではないか。それがわからないのは鈍感な人ではないか。私も鈍感な方だが、多分私の身体や深層の心は相手に反応して何かを掴んでいると思う。人間も獣の一種である。獣は瞬時に相手を見分ける能力を備えているのではないか。それならカウンセラーはクライエントに隠れ蓑など付けないで、必要ならばありのまま見せたら良いと思う。

心理相談は相手の悩みを聞くのだからわざわざ面接場面でカウンセラーが自分をさらけ出す必要はないが、常に自分の内面を掘り下げて、内面から生じてくる気持ちや考えに対して真摯に直面しておく必要があるのではないかと思う。

その考えで、今後私がカウンセラーのみなさんに箱庭療法をすすめるにあたり自ら箱庭を作って自分の内面にかかわるように提案したいと思う。そのために箱庭療法研究会に参加する人はできるだけ自ら箱庭を作り小グループで良いから自分の箱庭のシリーズを検討して欲しいと考えている。今の研究会はどうやら覗き趣味に終わっていると思う。

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