意見を言い合う時代の到来

 

 「和を以て貴しと為す」という規範で私は生きてきた。しかし、その規範で生きることは今の時代に合わなくなってきているのではなかろうか。和を以てというとき、私たちは相手の気持ちをおもんばかり、相手も私たちの気持ちを察してほしいと思う。

 しかし、今の時代は、あなたの気持ちは、考えはどうですか、云わないとわからないでしょうということになる。それが当たり前になってきた。

 ある子どもがいじめられている。その子は愚図だし、気持ちがはっきりしない。いつもワンテンポ遅れる、だからいじめたくなるのだという。

 声をかけても返事をしない、決めてほしい時に決められない、頑張ってほしい時に頑張らない、こうして調子が合わないから嫌われる。そういうことは今までにもあった。声なき声を聴き、何がほしいかを察し、頑張ってほしい時に優しく声をかけ励まして頑張らせた。

 今は、はっきりしない子に対して、はっきり嫌いだという者が出てきた。言い分を聞くともっともである。そこではもはや、やさしい思いやりは背景に退いている。

こういうとき、いじめられる方が少し強いと、お互いに言いたいことを言ってすっきりしなさいと、対決をさせることが一つの解決法である。お互いに言いたいことを言ってすっきりすることが望ましい。言い合っているうちに何とかわかってくるところがあるのである。

 いじめられる方が、幼くて弱いと言い合いをさせることはできない。ここが今の子どもたちの指導が難しいところである。

 以前は少し強い立場にあるいじめる側は、いじめは悪いとわかっているから、自分の意見を主張しなかった。相手の悪いところを責めるのはよくないところだから。

 しかし、今、いじめる側の人がはっきりとあの人はこうですと相手の弱いところを述べるようになった。子供なりに社会生活をする上で、いじめられる側に何か足りないものが明らかになってくる。社会性が足りないということ、いわば発達障害である。

 昔はそのような子どもも何とか一緒にやっていくところがあった。それは和を以て貴しと為すという規範が生きていたからである。

 しかし、個性と競争重視の社会規範が一緒にやっていけない者を排除するようになってきた。競争社会では、トップレベルの者を除いて、以下多くの者が劣等感を持ち、自分の個人情報を隠すようになった。トップレベルの者もいつ落ちるかもしれないと不安であろう。今は競争社会で、学歴が重視される時代である。相談に来られた方が競争社会でどのような位置にあるかカウンセラーとして知りたいと思うが、相談室で学歴をはっきり聞くのに気を使うし、時には住所さえ相談申込書に書かない人が出てきた。しかし、大事なことは聞かないと始まらないから、カウンセラーもクライアントにはっきり聞きたいことを聞き、云いたいことを言って、すっきり話し合うことがとても重要になってきたと感じている。言いたいことを言って初めて和ができる時代になった。