河合隼雄先生の後に

 時が移り世の中が変わっていくのを感じている。

 思い返してみると、河合隼雄先生が活躍していらっしゃった時はイメージ心理学も生きていたし、心理療法と問えば来談者中心療法と答えが返ってきた。

しかし、今は、心理療法は認知行動療法が主となり、来談者中心療法は傾聴になってしまった。精神分析はかろうじて理論を支えとしているので未だ主体性を保っているが、昔ほど勢いがあるとは言えないのではないか。ユング心理学のように曖昧なものを沢山含んだ考え方はパソコンの時代への激しい時代の変化に押し流され跡形も無く消えた感じである。

 心理臨床仲間の人間関係も変化しつつある。河合隼雄先生が元気な間は、一人一人が先生とつながり、先生とつながるものとしてみんな仲良しという関係になっていたのではなかろうか。私の人間関係が狭いせいかもしれないが、特定の人を除いては、あまり意見を交換した覚えが無い。先生の下の、下々の相互関係は意外に希薄で、お互いに知り合うことがなかったと思う。研究会で意見を聴くとか、著書を読むということが無いと、知り合うことが無い。何となく先生の周りにあるものとしてただ集まっていたが、見知らぬ人と知り合う機会が少なかったのではないか。

 河合隼雄先生が他界され、人間関係は中心の柱を失ってばらばらになってしまった。本来は中空構造であるべき人間関係が、相互の人間関係がばらばらなために、中空構造を保てず、混沌としてきたように思う。この混沌の危機に声高に叫ぶ英雄が出てくるかもしれないが、みんながついていくような大きな人が今すぐ表れるとは思えない。河合隼雄先生の後には混沌があるだけだ。

 

 これから本当にお互いに人間的に知り合う関係から作り上げていかなければならない時代になったように思う。自分の意見を述べ、相手の意見を聴き、本当にわかりあい、意見を交わす人間関係を作って、充実した生活を生きていきたいと思う。それこそ人格的関係であり人格の力の第一歩である。