何が本当か

 河合先生は分析の面接で、私の話が面白くないと眠ったようにしておられた。ある人には実際いびきをかいて眠ってしまわれたそうである。その人は誇張してものを言うお人かもしれないが、果ては、行ってみたら、分析の時間なのに先生は分析室に居られなかったそうで、その方は、そこにいらっしゃった息子さんと卓球をして帰って来たとのことである。後で、先生にそのことを言うと、先生は息子に分析料を払って頂きましたかと言われたそうである。私はこの話を聞いて、先生はその方の話がさぞかし嫌だったのだろうと思ったことであった。

 この話をある人にしたら、先生の分析室に卓球台を置くスペースがあったかなあと指摘された。確かに、先生のご自宅の分析室は狭く、お庭にも卓球台を置くようなスペースは無かったように思うが、そうすると分析のために行ったら先生がご不在なので、息子さんと卓球をして帰ってきたという話が誇張された話ということになる。

 私は自分の経験から、その人は先生から避けられているを見たが、他の人は話を聞いて、先生の実際の家を思い浮かべた。先生の家は、前も後ろもそんなに広くはない。

 

 心の目には、このように見えるところと見えないところが出てくる。人によって見方が違って、まったく違った結果になる。何が本当かを見極めていくには、感情に捉われない客観的な見方が必要であることがわかる。私たちは表面の面白さに捉われず、本質的に大切なもの、何が本当かを見極める姿勢を大切にしなければならないと思う。