アクティブイマジネーション

 今ひたすら箱庭療法に徹するという大住流箱庭療法を実践している。この方法は大人に箱庭を作らせるものである。これまでの箱庭療法は最初子どもを中心に行っていたので、子どもが自然に箱庭に取り組むのを待っていた。大人に対しても自然に作りたくなるのを待っていた。このやり方はできるだけ自然に心の内部から箱庭を作りたくなるのを待っていたのである。夢と同じく自然に出てきたイメージを大切にするという考え方である。夢分析ではできるだけ夢の記録を詳しくつけてくださいという。記録は意図的にするけれども、夢は夢の世界からやってきたものを記録することができるだけで、意識的に夢を作ることはできない。あくまでも向こうからやってくるものを掴まえるのである。

 大住流は箱庭を作らせるのである。そこには意図的なイメージの世界への跳躍がある。

 「箱庭はあなたが自由になる世界ですから、気に入った玩具から連想されるものをそこに表してください。そこではできるだけ自由になってください。」と教示する。そうすると自由でいいのですかということになって、非現実的な世界が展開されるようである。大人はこうして遊びの世界に入ることができるようである。子どもたちは自然に入るところを大人は意識してその世界へ跳躍しなければならないのではなかろうか。イマジネーションの世界への跳躍で、アクティブイマジネーションといえる。

大人の目を持って箱庭を作ると現実の様相のような固いイメージが出てくる。自由な遊びの世界に入ると、何か現実世界とは違う感じのするシーンが展開する。その世界は一見現実とは遠くはなれて、現実とどう繋がるかわからないところがあるけれども、そのイメージの構造を見ていると、何となく現実の諸現象の背後になってそれを演出しているゲシュタルト的なイメージであることが感じ取れるところがある。

 それは夢の内容とイメージの背後にあるゲシュタルトの関係に似ている。夢の場合、夢そのものよりも夢のイメージのゲシュタルトが大切である。例えば、パルチザンに追われる夢を見たとき、現実に攻撃的な人から追撃を受けているというのが、表面の意味である。それに対して、その人の攻撃性がパルチザンのように、あるときから表に堂々と出られなくなったことはないのか、その人はあるときから攻撃性を地下組織に受け渡したのではないか、つまり、あるときから攻撃性が出せなくなって、攻撃性の存在の認知を迫ってきていると考えると、その人の現実に当てはまることがある。ユングはこのような解釈を夢の主体水準の解釈と呼んだ。

 本当の遊びの世界に入ると大人でもこのようなイメージを箱庭の中に展開することができる。それは自然に任せるのではなく、自由な遊びの世界に意図的に入ることで成し遂げられる。だから、箱庭を作る間はできるだけ見ないようにして、出来上がるのを待っている。その間大住先生は瞑想しているという。瞑想も自分のイメージの世界での遊びに他ならない。カウンセラーもクライエントも、それぞれが遊んでいる。二人ともそれぞれにアクティブイマジネーションの世界に遊んでいる。アクティブイマジネーションはユングはよく行ったが、われわれは大体失敗した。けれども、箱庭療法でのアクティブイマジネーションは成功するのではないか。