新箱庭療法

 新箱庭療法と言っても以前の箱庭療法と何ら変わるわけではない。私の心がけ、考え方が変わった。

 これまでは箱庭療法によって内的なイメージが表現され、自我が変容していくことをイメージしていた。

 それに対して、箱庭を作ることによって自分らしいイメージを見出すことが大切ではないかと考えるようになった。自分が何となく安心できる箱庭のイメージを作り出すことが大切だと思う。

 人はいろいろな悩みで心を塞がれている。人が怖い、視線が気になる、クラスが怖い、異性が好きになってどうにも離れられない、親友が信じられない、親が自分をわかってくれない、仕事に自信が持てない、意欲が出ない、ゲームのことやテレビのことが気になって肝心のことができない、などなど、気になることがあって、それに惑わされしっかりした自分を保つことができない。悩みのために自分を見失っている。

これまでは心の中にコンプレックスがあって心の活動が掻き乱されていたと考えていた。従って、心の活動を掻き乱すコンプレックスを解消するためにそれを表現する手段として箱庭療法や夢分析を考えていた。あるいは心に思いつく話をして自分の考え方をまとめ、主体性を確立していくことを目指していたのではないかと思う。

 荒れ野は様々な雑草が生え、落ち葉が山ほど溜まって新しい芽が出られないほどになっている。雑草を払い落ち葉を取り除いて土に光を当て、新しい芽が出てくるのを待つ、そんな態度で心に向うことが良いのではないか。カウンセラーとしては自由で何をしても良い、何を考えても良いという無の空間を与えることが良い。それは相手と関係を持ちながら無関心でいることである。相手を評価しない。きわめて禅的である。

 箱庭療法の玩具一つひとつはそれ自体は多様な意味合いがあって漠然としている。それらを組み合わせて並べてみてもさらに漠然としたものになる。漠然としたもので、漠然とした心を捉えようとするのが箱庭療法である。ユングは錬金術を評して「不明なるものによって、さらに不明なるものを捉えようする」ものであると言ったが、箱庭療法はまさに錬金術的な方法である。箱庭療法は禅的で、錬金術的になった。

 これまでの私は夢分析や箱庭療法で、できるだけわかるように努め、問題点を明らかにしようとした。問題点が明らかになると解決への意欲は出てくるはずだと考えた。解決への姿勢をしっかり持って面接を進めることが大切だと考えてきた。しかし、それは悩みを持つ人を苦しめることになっていた。その姿勢とこの新箱庭療法の姿勢はまったく正反対になる。

 新箱庭療法は漠然として入るが、自分らしいイメージが出てくるのを目指し、自分が中心となって周囲のことが客観的に見られるようにしていく。雑草を抜き、落ち葉を除いて視界を良くし、自由に生きられる空間を作る。それは家族からも友達からも仕事からも世間体からも自由な自分を作ることではないか。

 心は決して壊れることはない、見失っているだけである。自分は必ず見つかると思う。