心理臨床の研究法

 私たち心理臨床家は日々の心理臨床で経験したことに基づいて考えている。それらはきわめて個人的な体験で、一回きりのものである。クライエントについては経験した事実を時系列的につなぎ合わせれば事例研究になる。事例研究では長い経過を振り返るので、その経過から浮かび上がってくるものがある。しかし、一面接の中の一つの出来事も体験であり、そこから私たちはいろいろなことを考える。心理臨床における体験と思索、それが私たち心理臨床家の研究法である。

 一面接の中の一つの経験を長い経過の中に位置づけて考え、他の事例の同じような経験や文献で読んだ知識と照らし合わせ、拠って立つ心理学的理論から考えられることなど、様々な観点から検討する。それらは個人的、主観的なものであるので、心理臨床家が拠って立つ心理学的理論にこだわっているとそれに添った答えしか出てこない。

 心理学的な理論から自由になると素直な判断が可能だが、次には心理臨床家の個人的な人生観や生き方の考えが影響して素直さを妨げ、これも判断をゆがめる。何ものにも左右されない公平な素直な判断はできにくい。これでは科学的な研究とは言えないが、実際の場面ではこれで行くしかない。

 事例研究をすると公平な、個人的な感情的判断に左右されない、素直な判断が求められることがわかる。そのためにどうしたらよいのかと考えると、やはり自分の内面の深いところで感じているものに耳を澄ますことが大切だと思う。ものすごく微かな感じほど真実に近いのではないか。内面の微かな声のレベルの心、それが個人を超えてすべての人々につながる心の世界である。それをトランスパーソナルというのではないか。以前に心の相を考えたとき、心の中の微かな声に従うことが大切だと書いたことがあるけれど、心理臨床体験に基づく微かな声に従った判断、それが心の研究につながっている。きわめて個人的なものが最も普遍的であるという仮説である。

 この微かな声の心で感じ取っているものは生きものの感覚ではなかろうか。

 相談室のベランダに撒いた餌を食べに来る雀たちを見ていると、彼らはカーテンのちょっとした動きにも、カーテンの背後の動きの気配にも一斉に反応し、一匹が気配を感じて動くとみんながそれに敏感に反応して動いていることが見て取れる。彼らは気配を感じ取り、次にどう動くべきかを相互に感じあっているようである。人間にもそのような気配感得能力があるのだが、その動物的な感覚機能は知識や社会的な態度に邪魔されて機能低下を起こしていると思われる。

 

 私たち心理臨床家の研究法は鳥類でももっている動物的な気配感得機能のレベルに下りて、心の声に耳を澄まし、聞き取り、考えることから始まりそして終わる。そうすると心を澄ます瞑想が最も大切ということになろう。あらゆる場面での瞑想、そして瞬発的な判断、生きている人間の動物としての素直な息吹、それが心理臨床の研究につながっているのだと思う。あるときは眠っている猫のように静かに、あるときは怪しい動きに的確に反応する獣のようなすばやい身構えが研究法として大切であろう。私たちの研究対象、心は生きている生物であり、研究する側も生物の心で見ているのである。