大人の女 une femme

 愛し合う関係をうまく保つにはどうしたらよいかについて考える。

 ある男は、恋人ができていたことが判明し、離婚に至った。二人は20年以上も共に暮らし、本当に支えあって仕事をし、その面では立派に成功した。二人は本当に愛し合っていたと私は思う。それを何故解消しなければならないのか。

 夫が浮気をしているのに、どうして夫は私を愛しているといえるのか、私は問われた。その問いに答えるのは私には簡単ではなった。20数年共に苦労してきたのだから、お互いに許しあって、お互いにより豊かな中年を生きてほしいと思うのだが、それで納まる奥さんではなかった。

 この夫婦が離婚に至った原因の一つは、お互いに愛する気持ちがあまりに強いが故に、愛を厳しく考えすぎ、危機に陥ったのであった。夫が浮気したのにどうして妻を愛していると言えるのか、それを言葉通り詰めていくと離婚に至る。

 そういうことをテーマにしたフランス映画がある。『女は女である』。原題もそうである。監督はジャン・リュック・ゴダール。une femmeには、ただの女という意味と、大人の女、つまり、破廉恥な女という意味もあるらしい。だから、女は女であるという意味は複雑である。この映画は相当昔の映画だが、この映画は愛のあり方を考える上で参考になるので、ここに紹介する次第である。

 アンジェラとエミールは相思相愛の仲である。アンジェラは子どもがほしいと思って求めるが、エミールは応じてくれない。二人の関係が喜劇で紹介される。

 この映画は、今までの映画と違って描き方が違っているのでわかりにくい。二人の関係は現代フランス独特の同居婚で、同棲ではない。ここがわかりにくい。二人の喧嘩もお芝居として描かれる。二人は観客にご挨拶しなければといって、二人並んで挨拶してから喧嘩を始めるところも面白い。劇中劇として描いてあるのである。ここに喧嘩と書いたが、フランス人に言わせると、二人のやり取りは喧嘩ではなく議論であるということだろう。個性と個性のぶっつかり合いが話し合いだし、まるでボクシングのような会話である。日本人のじめっとした話し合いとはかなり違い、活き活きとして面白い。日本人もサッカーを受け入れ、少し攻撃的になったが、こういうレベルに達するまでには相当に代を重ねなければならないのではなかろうか。

 話し合いが進むにつれて、字幕が現れる。そこにはこう書いてある。「男は女の言葉を信じ、女は男を罠にかける」「女にははぐらかす権利がある」また、「たとえ二人が永遠に愛し合っているとしても、やりすぎても大丈夫というのは間違いである」と。実際、日本の離婚家庭でも、互いに深く愛しているからこそ相手の欠点などを突いて喧嘩し、和解できなくなるまで、対立が厳しくなるのである。

 二人は互いに自己主張し、意地の張り合いをして離別の危機に瀕する。エミールは娼婦のところに行って相談し、アンジェラはついに二人の友達のアルベルトのところに行く。アンジェラはアルベルトとベットには入ったが、「一緒にいると離れているが、離れていると一緒にいる」と言って結局エミールのところに帰り、アルベルトと寝たとエミールに言って、妊娠を心配させる。エミールはアンジェラの罠にかかって、二人は幸せになるというお話しである。エミールはアンジェラの言葉を真に受け、アンジェラの罠にかかり、幸せになるという、初めの言葉通りになる。「男は女の言葉を信じ、女は男を罠にかける」という題のレポートの答えがこの映画である。このように読まないとこの映画の意図がわからないと思った。

 ドラマの中で、愛し合う二人であるからこそ徹底的に言い合うことが問題となる。愛を確かめようとして危機に瀕する夫婦はいくらでもある。愛を確かめたい人はこの映画を見るべきである。

 夫婦であるから、隠し事はすべきではないとか、愛しているか、愛していないか、それをはっきりさせることが夫婦の信頼関係に欠かせないと人間を信じられない人は考える。そして、愛を確かめるために話し合いを徹底していくことが、お互いを追い詰め、ついには破綻を招いてしてしまうのだ。真の信頼を得ようとして、却って不信をよびおこしてしまうというパラドックスがここに描かれている。

 はじめに述べた奥さんは、夫に恋人があるのにどうして私を愛していると言えるのですかと詰問した。言葉通りに考えると、答えに窮する。言葉で論理的に考える人はこの奥さんの考えに賛成するだろう。しかし、もっとしたたかな女性は夫を罠にかけ、はぐらかし翻弄するのではないか。そして他の多くの女性たちにもてる男を自分のものにしていくのではなかろうか。それがユンヌファム、大人の女である。

 この問題は映画に描かれているところを超える。映画は未だ純情な若いカップルのレベルで、これからより深い関係に向かうところである。私は担当した中年夫婦は長い結婚生活を続けて、お互いの不満を見つけたところから始まり、激しく喧嘩をして別れてしまった。

中年はお互いの欠点や失敗をどう受け入れて行くかが問題になる時点である。その時点での話し合いも、この映画のレベルとあまり変わるところがないと思った。私はこの映画から時々水を差すことの大切さを学んだ。

 

水を差すという言葉が出たので、次回は『水を差す』と題して書くことにする。