不登校はなぜ増加したのか

 8月10日の新聞に06年度学校基本調査結果が報じられた。不登校が5年ぶりに増加したということである。

 不登校はもっと多いはずだ、いじめによる不登校はこんなに少ないはずはない、いじめられるくらいなら学校に行かなくても良い、無理して学校に行かせなくてもよいという風潮が出てきたという識者の意見があった。

 私もそう思う。実際不登校気味の生徒や保健室・相談室登校の生徒を含めるともっと数が増えるはずである。

 相談室や研究会で聞いていると、いじめられて不登校になる生徒がいるし、いじめはたいしたことはないけれども、本人はひどく傷ついたり、仲間はずれにされたりという事例は少なくない。特に、女子では3人の関係が難しい。一対一が基本なので、一人は外れやすい。外れると居場所がなくなる。男子はこれほどではないが、思春期の元気の良い生徒が乱暴な口利きをしているのを聞くだけで怖くなる場合がある。別にいじめられているわけではないが、気が小さくて元気な友達の側で竦んでしまうのである。

 その外、最近の離婚の増加による家庭崩壊も見逃せない。

 離婚して、母親に養育の能力がないと、父親に親権を渡して母親が出てしまう例もある。小学低学年のお姉さんが弟妹の面倒を見ると例もある。父親が働きに出て食うや食わずという家庭も見られるようになった。50年、40年前はこのような家庭の事例が見られた。現在はその上に核家族化がかぶさっていて、周囲の援助が少なくなっている。このような崩壊した家庭では、子どもたちは学校に行くよりも、自分で必死に生きていかねばならない。児童相談所に自ら保護を求めていく子どもたちも出てきている。格差社会がこのような形で出てくるようになったかと感じるようになった。

 女性も強くなって、強くなった分昔のような甘えを許さなくなった。強く生きている女性は自立するように育てられてきている。だから、子どもたちに甘えのゆとりを持っていない。

 自立するキャリアのある女性たちは、感情よりも考えで生きていく。心はどこかに抑えられ、ご飯は食べるもの、子どもは遊ばないで勉強するべきだ、使ったものは自分で片付ける、学校にはいくものだと考えている。

 一日何があったか、どんなことが楽しかったか、どんな辛いことがあったか、友達はどうしたか、などの感情を交えた会話が相談面接の中で見えてこない。

 家庭内の会話の欠如である。

 現代日本の社会はおしゃべり社会になった。家の中にはテレビというおしゃべり機械があって、そこから交際に必要な情報がどんどん流れてくる。テレビが提供するおしゃべり文化は相当なものである。

 今は名誉よりも自尊心が、節度よりも自己満足が、弱い者はいらないという考え方である。言葉を控えるより、もっと主張して説明してわからせねばならなくなった。わかってもらうのを待っていてはだめである。

日本人にしみこんでいた武士道は、名誉を重んじ、節度を大切にし、弱いものを打つことを恥じた。おしゃべりは無作法であった。男に二言はないと言葉を大切にした。しかし、今このような昔の武士道的精神に生きている人は適応に苦しんでいる。このような人を私は旧日本人と呼んでいる。古い文化と新しい自由な文化の相克を不登校や閉じこもりやうつ状態の若者は背負っているように思われる。

 

 不登校は様々な要因によって起こる。私臨床心理士はこの文化の問題を一人ひとりの心の中で解決しようとしていると思う。

 

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