河合隼雄先生としばしのお別れ

 河合隼雄先生がついにあの世へ旅立たれた。この世でまだまだやりたい仕事が沢山あったので残念だったと思います。一年近く眠って、私たちに心の準備期間を与えてくださったと思いました。最後の最後まで気配りの先生でした。

 先生のお話は知性的で冗談が多く、面白いのでみんなが聞きたがります。講演の話も面白いのですが、その後の会食のときのお話は、講演の時には聞けない、また一段と笑えるお話なのでみんな聞きたがっていました。小渕首相の時代、愛知教育大学の院生の研究会でお招きしたときは、私たちとの話を楽しみにしていらっしゃって、夕食の後の二次会には早々とお出でになりました。そこでの小話、小渕首相はいつもすみません、すみませんと言われる、すみませんと言い過ぎるのではないかと。「すみません」を英語で言うと、アイムソウリ、アイムソウリというのです。それはアイム総理と言っているのですと。勿論、小渕首相は先生にとってとってもいい人だったからこんな冗句が出てきたのでしょう。先生はこのジョークを思いついてみんなに披露したかったのだと思います。

 先生はこういう冗句を思いつくと話したくて仕方がない人でした。先生の冗句は半分真実を含んでいるので痛みがあるのです。小渕首相もあの世で痛みを覚えながら笑っているのではないでしょうか。ある先生の人柄について、春風に乗って毒矢が飛んでくるとおっしゃったのですが、先生の毒矢は笑いの中を突き抜けて行くという感じでした。先生の冗句を集めると一冊の本になるでしょう。

 先生は気配りが行き届いていて、進んでおつき合いをなさいました。講演会では文化庁長官の名刺を配り、求めに応じて写真に納まり、著書には丁寧にサインをされました。文化庁長官としての東京での生活、そして土曜日や日曜日に行われる講演会やフルートの演奏会では周りの方々とよくお付き合いをされたと思います。倒れられる前の晩も京都の大文字の送り火で、半ば公的なお付き合いをされていたと聞いています。

文化庁長官を1年以上過ぎた頃だったと思いますが、先生が後ろを向いて私に、一年以上長官をしているけれど東京で一人で食事をしたのは4、5回しかないんだよと小声でおっしゃったのです。それは大変ですねとお答えした覚えがあります。それ以後、それ以上ひどい生活が裏では続いていたのではないでしょうか。みんなの笑いの裏で、コレステロールがたまり、脳梗塞が準備されていたのだと思います。

 先生は、疲れは溜まっていたでしょうが、心身ともにとても元気だったと思います。最後の最後まで元気に頑張られ、まだいのちの勢いがありました。私たちは先生のその勢いのあるいのちを受け継いで次の時代のために精一杯働き、先生が残されたものを礎にして新たな世界を実現していきたいと思います。先生のいのちが私たちの心に生かされるように祈ります。

 先生は臨床心理士という資格を作り、心理臨床のために広い領域の方々とつながりを作られました。心理臨床を社会化するための仕事として将に全力を傾けて行われていたのではないでしょうか。心配りをしてこころを大切にしていく生き方、それを私たちが受け継いでいかねばならないものだと感じています。

 

 気配りの先生はあの世に行っても神様や仏様に丁寧にご挨拶され、八百万の神々に向かって挨拶のフルートを演奏なさっているのではないかと思います。しばしのお別れです。