自分を見出す

 学生たちに施設実習を体験させる。施設に学生を連れて行き、一人ずつ子どもをあてがって90分遊ばせ、子どもと会って帰るまでの経過をできるだけ再現するように記録させ、レポートそして提出させる。1回の記録がA4一枚から二枚に書かれる。それが前期で5~6回、後期で7~8回になる。前期後期の終わりにそれらをA4二枚にまとめさせる。まとめ方は各人自由である。そのまとめ方を通して学生たちがそれぞれ子どもとどのようにかかわっていたか、子どもの心の流れがわかる。

 心はこれと言って単一に捉えられるものではない。行動の経過の中に見えてくるものである。事実の経過を見てみるとわかる。事実の経過を物語的に見ると心がわかるので、ある人は心という言葉を使わずに物語と言った。確かに物語の中に私たちは心を見出すことができる。心は行動の経過中で、あるいは、いろいろなことの布置の中に表れ出るものである。

 この観点から考えると、自分を発見するにはとにかく少しでも興味あることに向かって行動してみることが必要であることがわかる。行動して流れを作ってみないことには自分の心が見出せないのである。

 閉じこもりの人の中には、自分がやるべきことが明らかになるまでじっと待って居よう、自分が明らかになるまで行動しても無駄であると考えている人がある。

 

 じっとしていては自分は見つからない。行動して始めてこれでもないあれでもないということがわかる。そのうちに自分にはこういうことが面白かったからここの道を歩いていきたいと考えるようになる。自分の道は長い間の経験の漠然とした中から浮かび上がってくるのである。自分で行動し、それを心に刻み、それをまとめて振り返り、それを自分自身や人に語るときやっと自分らしいものが見えてくるのではなかろうか。