猫の観察から

 昨年の晦日にもらってきたメス猫ユリちゃんが4月2日に子猫を6匹生んだ。4月1日夜から様子がおかしくなり、1匹目が生まれたのは2日に日が変わってからであった。それから朝6時頃までに6匹の赤ちゃんが生まれた。

 今3ヶ月半というところである。先週から親猫が子猫に喧嘩を仕掛けるようになった。親猫が突然子猫に襲い掛かりフーッと言って叩いたり噛み付いたり。子どもは突然のことで戸惑う。これが時たま起こり、他のときはごく普通の関係で、近づいてきたものは舐め合って親しみを表している。親猫が社会生活の仕方を教えている。

 

 これまで3匹が貰われて行き、先週そのうちの1匹が返されてきた。どうしても慣れないということで返されてきたのだが、この返ってきた子猫はわれわれにぴったりとくっついて離れない。余ほど孤独を感じていたのだろう。

 

 しかし、この子の帰還で異変が起こった。親猫と残っていた子猫3匹が近所の家に家出をしてしまった。我が家に違う臭いをつけた猫が入ってきたので、親猫は子猫3匹を連れて避難したというわけである。近所のうちはとても猫をかわいがられるので、猫たちは庭で餌を貰い、庭に住み着いている。

 家出が長引くと猫たちが野良猫化するので連れ帰ったが、親猫はすでに野良猫化していて外に出たがり、家に閉じ込めておくのに一苦労である。野良猫化したものを我が家に引き戻すのはとても難しいように思われる。

 

 我が家で子どもたちを生んだ猫がどうして急に野良猫化するのか。この猫は元々外で過ごすことが多かったと元の飼い主から聞いていたので、その傾向が子育てを大体終わった今再び出てきたのであろうか。もしそうだとすれば、このユリちゃんは我が家に来る前から妊娠していたのだから、そのときからずっと出産を我が家でするためにかりそめに住み着いていたことになる。そうなのだろうか。基本的には外で生活する猫というわけである。もしそうであれば、ユリちゃんはご近所の庭を本拠地としたほうが良いかも知れない。そして時々我が家にも遊びに来るかもしれない。これを受け入れろということか。

 

 これまで我が家に住み着いていたメス猫2匹も、外人さんの来訪で外に出た。外人さんの臭いが家にいてはいけないと言う脅威を感じさせたのであろう。その外人さんは人からとても好かれる人なのだが、臭いが猫にとっては脅威だったようである。外で生活するようになった2匹の猫は寒い夜だけ家で過ごし、大抵は外で生活している。猫は寒くても外で静かに生活するのが好きなようである。

 

 親と一緒に連れ戻した2匹の子猫と出戻りの子猫とは中々仲良くなることができなかった。出会いがしらにフーッと言って、明らかに知らないやつだと言う感じで対立するのである。親猫も同じである。人間の青年期の反抗期もこのようなのであろう。今まで仲良くしていたきょうだい同士でもお前は何でそこにいるのだという態度をとる。反抗期とは親に対して対立するばかりでなく、きょうだい、友人に対しても反抗するのである。そしてしばらく後には親しみ合っているのだから面白い。

 

 出戻りの子と他の子どもたちが仲良くなるきっかけは遊びであった。

 子猫は猫じゃらしでよく遊ぶ。この猫じゃらしで遊ぶのは子どもとして安心して遊ぶことができるからであるらしい。出戻りの子は猫じゃらしを仕向けても中々かかって来なかった。また、一昼夜を外で孤独に過ごした子猫も猫じゃらしにあまり反応を示さなかった。一方、親猫と一緒に帰ってきた2匹の子猫はすぐに猫じゃらしに反応して、活発に遊びまわった。そのうちに出戻りの子も感心を示し、走り回る子猫がぶっつかって来て体当たりされるようになった。このあたりから、今まで互いに反感を示していた猫たちがいっしょに動き回ることができるようになった。一緒に遊ぶことができること、それが仲良くなる機会であることが明らかになった。

 不登校の子どもたちは他の子と一緒に我を忘れて遊ぶことができない。そこに融和の機会が欠けていることがわかる。今、学校で我を忘れて遊び興じる機会が少なくなっているのではないかと考えさせられた。

 

 家に住み着きかわいがられている子猫は猫じゃらしで遊ぶことができる。つまりごっこ遊びができるのである。一方、外の世界を経験し、自分の身を自分で守りながら生きていく独立した猫は猫じゃらしで遊ぶことができない。ここには明確な一線があるように感じられた。猫の心の性質がそうなのだ。安心して生活できるところでは子どもたちは遊ぶことができるが、一歩外に出て、自分で身を守りながら生活する態勢に入った猫、独立した大人の猫は遊ぶことができず、猫じゃらしに余り反応を示さなくなるのだ。遊ぶのは子どもで、大人には遊がない。

 

 人間は大人でも遊ぶではないか。でも人間は遊ぶとき子ども心に返っているのではないか。何かに遊び興じる。これが子ども心であり、人びとに融和をもたらしてくれるのではなかろうか。融和の精神は遊びから生まれる。そして大人の本当の仕事も遊び興じるところから出てくるのではなかろうか。その遊びの要素が人びとを融和し、仕事が成功につながっていくのではなかろうか。

 

 家出の親子が連れ戻されたとき、中々人に慣れないヤヤコがご近所で孤独な一昼夜を過ごした。この子を連れ戻すのに苦労した。他所の車の下に入って中々出て来なかった。猫じゃらしで他の子を目の前で遊ばせても中々参加しない。関心はあるらしく少しずつ出てきたところを捕まえて連れ帰った。すでに野良化していたが、抱いて撫でてやるとおとなしく懐いてきた。なおも撫でていると一層寄り添うようになり、今では自ら脇や首のところに擦り寄って愛撫を求めるようになっている。厳しい孤独を経験しその後で保護され愛撫される経験をすると、愛着行動が大変強くなることが明らかになった。

 

 親猫は獣医さんに不妊手術をしてもらい一昼夜経って帰ってきた。けれども、すでに住みついた感じのご近所の家の庭が恋しくてたまらない様子である。何とかして出て行こうとする。今、家の中に閉じ込めている。和室で粗相もし、きれいな畳に茶色のしみができた。これからどんな被害があるかわからない。しばらく家に閉じ込めておくと猫は観念してくれるだろうか気がかりである。親猫の野良化を今認めるときっと子猫たちも連れていくに違いない。世話をしてくださるご近所は良いかもしれないが、五匹の猫がご近所をはしりまわるのは心配である。

 

 このように外の生活が染み付いた猫も強制的に家の中に閉じ込めておくと家猫になるかもしれない。行きつけの自動車修理工場では家の中で、しかも檻の中で飼っているとのことであった。こんなことも可能なのかと思う。周りが交通激しい道路で囲まれている家なので仕方がない。私の家は交通量が少ないので幸いである。しかし、しばらくユリちゃんには辛抱してもらわなければならない。