心理臨床家の贅沢

 若い人たちと付き合っていると驚くことが多い。先日は、若く頭のいい、けれど経験の浅心理臨床から個人的な考えを一般化しないでくださいと言われた。私はこう言われてはたと困った。

 私の考えを批判した若い人は院生に実証的な研究をもっぱらさせている人である。質問紙の調査を何百人を対象に行い、そこから導き出された結論は一般化され、正しいと判断されると考えているのである。しかし、調査的実証研究をどれだけの人が見ているであろうか。大体多くの人が調査研究というだけでそれを読むのにうんざりする。出てくる結論は大体常識的なものである。それもそのような傾向があることを統計的に確認するだけのことである。そのようにして出てくる研究結果は心理臨床の実際には役に立たない。それは心理学的な研究ではあるが臨床とは程遠いのである。

 心理臨床で必要なことは、面接の場で相手に通じる一言をいうことである。スーパービジョンにおいても同様である。そこで出てくる一言は心理臨床家の経験と勘である。ひらめいたことが相手に通じる、納得してもらえる、一言で視点が変わり、新しいものが見えてくる、それが大切である。

 一人の人に通じることは他の人にも通じる。だから、一人の人に通じること普遍的であると言える。

 自分にわかることを言うと相手もわかる。自分にわからないことは相手にもわからないことがある。自分にわかることが大切だ。自分にとって深い真実は相手にとっても深い真実である。ロジャーズは最も個人的なものはもっとも普遍的であると言ったのだろう。

 私はこれからも自分にとってもっとも深い真実を見つけて生きたい。

 

 毎日、新しいことを発見する喜びは心理臨床家の楽しみであり、贅沢であると思っている。

 

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