パーソナリティの進化

 この春ソウルに行って、新しい出会いや発見があった。

 ソウルはまだ寒いかと思って行ったけれど、意外に暖かく、快適に過ごすことができた。3月31日に名古屋に帰ってきて、まだ、檀渓の桜が少ししか開花していないので驚いた。

 韓国にも桜があり、ロッテワールドの池の周りは今桜が満開を過ぎたところではないかと思う。桜もまだ若く、上に枝葉を伸ばしている。日本を代表する花、桜がソウルの人々に愛されつつあり、日本との心の交流が少しずつ進んでいることが感じられる。

 韓国の人々は自然の花を愛する。地下鉄の駅からソウル市庁舎に行く通路には満開の山ツツジの写真が大きく壁面を飾っていた。中部地方の山にはソウルで見た薄紫の山ツツジ咲く。山ツツジの開花は丁度桜花の時期で、桜の下の潅木の中に赤みがかった薄紫の彩が美しい。これがソウルの田舎の山には一面に咲くのである。この花が咲く時期は気候も良く、気持ち好く花を楽しむことができる。韓国の人は自然の中の花を楽しむのである。公園に植えられた桜の花を楽しむ日本人と野山の花を愛する韓国人の違いを感じた。

 けれども韓国人も次第に植えられた花を楽しむようになってきているのではないか。自然を愛するパーソナリティから人が手を加えたものを愛する人への変化があるのではないかと思った。

 帰る日、A先生が南山の南側にあるLEEUMというサムソン美術館を案内してくださった。サムソン財閥の美術館であるから、日本で言えば、ブリッジストン美術館に相当するだろう。中は現代美術と古代美術に別れ、現代美術は迫力ある作品が多く、この方面に関心の薄い私も興味を持って見ることができた。古代美術は主に焼き物である。これを見ていて、13,4世紀あたりを境に表現の形式が違ってきている感じがした。それ以前のものは全体的な心の表現という感じがするのに対して、それ以後のものはデザインが美しいけれども軽いもの、よりデザイン化されたものになっている感じがした。日本の美術で言えば、桂離宮が巧みな技術によって洗練された美しいデザインが施され、精神性の高みを感じさせるように、古代の泥臭さから抜けていると感じられたのである。

 長い人類の歴史の過程で、土的な、人間の全体的な心の表現から、洗練された精神的な世界での躍動の表現へと進化しているのではないかと思った。

 私たち日本人は平安時代、あるいは鎌倉時代くらいまでは夢を信じていた。けれどもそれ以後になると、夢の価値は大変低くなった。そして現在は科学的に研究される時代になった。精神性から知性だけがさらに抜け出た感じがする。

 肉体と結びついた感情で生きていた人間から、より洗練された精神性で生きた人間へ、そして今は、より知性的な人間へと進化しているのではないかと考えながら、私は帰途に着いた。

 

 韓国の人たちはは私に人格の進化を考える機会を作ってくださった。感謝。