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次の駅まで

 地下鉄の車内で、たまたま親子連れの隣に立った。子どもはまだ小さく、ベビーカーに乗っている。母親が子どもに顔を近づけ、親子で向き合って微笑みあい、ふたりの間で言葉にならないやり取りが続く。隣で見ている私までもが幸せな気持ちになるような場面だ。ふと母親の方がスマホを取り出して子どもにカメラを向けた。かわいらしい子どもの表情を写真に収めたいという気持ちになったのだろう。子どもはすぐにそれに応えて更ににこにこと笑った。

 カメラを向けられてすぐに笑顔で返した子どもに少し驚いた。きっと生まれた時から撮られることが当たり前で慣れているのだろう。カメラを近づけられても特に意識することもなく、緊張もないのだと思った。

 私が子どもの頃は、写真はフィルムカメラで撮るものだった。撮影枚数は限られている。たいていは記念のため、記録のために、ここぞというところで写真は撮られた。だからこそ撮る側も撮られる側も気合が入る。カメラに向かって自然な笑顔を見せることなどとてもできなかった。

 スマホの登場でカメラを使う機会は格段に増えた。何度でも撮り直せるし、やろうと思えばどれだけでも修正できる。失敗したものや気に入らないものがあっても削除して撮りたいだけ撮ればいい。気軽だ。しかしそれでもやはり撮られることには慣れそうにもない。今でも緊張してひきつった表情になってしまう。今の子どもたちとはカメラ・写真に対する意識がかなり違うのだろう。

 カウンセリングでは睡眠中の夢について話を聞くことがある。写真を撮る夢というのも時々聞く。私にとっては、写真は今でも記憶・記録に残すためのもので、だからこそ写真の夢はそこに何かきちんとこころに刻み込んでおくべきもの、忘れずに持っていたいものが何かあるのだろうと考えてみる。しかし今のように気軽にいつでもどれだけでも写真が撮れるような時代では、カメラ・写真に対する意識が少し変わってきているかもしれない。写真を撮る夢についてももう少し幅を広げて考えてみたほうがいいだろうか。

 次の駅までのほんの数分間、子どもの笑顔を見ながらそんなことを考えた。

 

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