いつも仕事で使っている腕時計は約25年前、自分の誕生日に買ったものだ。カウンセリングは1回50分、時間を見るために時計は必需品ということもあり、それなりに気合を入れて選んだ。特別高価なものではないが、長年使っていて愛着がある。定期的にオーボーホールに出して大事に使ってきた。
仕事以外では気軽に扱えるデジタルの腕時計を使っていた。水に濡れても構わないし、万が一旅先などで無くしたとしてもそれほど気にならない。10年ほど前に買ったものをずっと使ってきたが、先日その時計が故障してしまった。安価なものであったし、そろそろ買い替え時なのだろう。そう思ってすぐに新しいものをネットで探して購入した。今回は見やすさを重視して文字盤の大きなアナログの時計にした。前回買ったものより更に安価な品物だったが、デザインは前回のものよりはるかに気に入り、良い買い物をしたと満足した。
新しい時計をはじめて身につけて外出したその日の夜、以前から仕事で使っていた時計が止まっていることに気がついた。電池切れである。前回交換したのは3~4年ぐらい前で、そろそろ交換が必要な時期だったのは確かだ。しかし新しい時計を使い始めたちょうどその日に止まるとは、まるで今まで使っていた時計が新しい時計に焼きもちを焼いて、機嫌を損ねてしまったようにも思えた。
こんなふうにモノのような無生物にも人間同様にこころやたましいが宿っていると見なす考え方、世界観をアニミズムという。もともとは文化人類学の言葉で原始宗教の特色をあらわす概念として使われたが、その後、心理学の分野でも認知発達理論で有名なピアジェが子どものものの考え方の特徴を示すと指摘した。例えば子どもはおもちゃが壊れると「(おもちゃが)痛がっている」と言ったり、太陽や月が自分を見ている、追いかけてくる、などと考えたりする。「機関車トーマス」では機関車それぞれに名前があり、個性があり、意志があるように描かれているが、アニミズム的な思考を持った子どもの世界観をそのまま示していると言えるだろう。
しかし何もこういう見方は子どもだけのものでもない。大人にもしばしば見られる。例えば職人は自分の道具をとても大事に扱うが、おそらく道具のひとつひとつが自分の大切な相棒であり、そこにはたましいが宿っているように感じているのではないか。AIの影響で、スマホというただの機械が人格を持った相談相手、話し相手になっている人も多いのだろう。重要なイベントがある日に天候が良くなると「天が味方してくれた」と感じて心強くなったりすることも、アニミズム的な見方・考え方のあらわれと言える。
アニミズム的な思考は、それが行き過ぎると、客観的視点を欠いた非現実的な世界に入り込んでしまう可能性がある。大切にしてきた腕時計が止まったのは、私にとってはインパクトがある出来事だったが、あくまで偶然の一致であり、そこを見失ってしまうと「時計のたたりだ」というところまで行きかねない。そうなると常に目に見えない何かを気にしておびえ続けることになり、世界は急に窮屈なものになってしまう。
ただ、モノにこころが宿っていると見なすようなアニミズム的な見方・感じ方が世界を豊かにすることもあるだろう。機関車トーマスの例を出したが、詩や短歌などの世界、あるいは芸術全般においてはこういったアニミズム的な感性が活かされているのではないか。
子ども時代の未熟さは全て捨てなければならないというものでもない。私たちの中にはいつまでも子どもの自分が生きている。それを隠す必要もないだろう。大人としての分別を持って社会的場面を生きることも重要だが、子どもの自分を尊重し、それを無視しないことも生きるためには必要だと思う。
