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思春期的

 この相談室を引き継いでホームページをリニューアルし、こうしてエッセイを書き始めてからは、同じようなネット上のエッセイやブログを極力読まないようにしていた。特に同じ仕事をしている人が書いたものは、読んでしまうと影響を受けて自分のエッセイを書きにくくなる気がして、極力避けていた。

 ホームページに掲載しているエッセイは、この相談室の方向性を知ってもらうために重要なものだと思っている。知ってもらうからには自分の中から出てきたものを自分の言葉で書くべきだ。うまい文章やきれいにまとまったエッセイが必要なのではないし、いくら他に良いものがあってもそれをまねすることに意味はない。この相談室らしさが出せればそれが一番、と思ってやってきたが、今思うと急に相談室を引き継ぐことになって不慣れなことも多く、かなり肩肘張っていたように思う。他からの影響に対して大げさな警戒心を抱いていたのかもしれない。

 こういう状態は思春期の反抗的なこころのありようと共通するところがあるかもしれない。思春期は精神的な自立が大きな課題となり、「自分」ということを強く意識しはじめる時期だ。思春期前は自分と他人との違いについてそれほど意識せず、自分の気持ちや考えに基づいて行動するよりも親や先生の言うことを聞いて行動することが多いが、思春期的な傾向が高まってくると「自分」というものがはっきりしてきて、一方的な指示に反発を感じ、自分なりの考えを大事にしたい、自分らしく行動したいという気持ちが高まる。

 ただ、思春期は精神的な発達の途中であり、しっかりと安定した「自分」があるわけではない。外からの関わりはそれがプラスのものだったとしても、まだまだ固まっていないやわらかすぎる自我にとっては、「自分」を傷つけ「自分」を崩してしまうような、あまりにも強過ぎる刺激に感じられる。だからこそ目いっぱい抵抗し、拒否し、反抗する。いくら周りがああした方がいい、こうした方がいいと適切なアドバイスをしたとしても耳を貸さない。思春期は自分のことでいっぱいいっぱいで、耳を貸す余裕などないのだ。

 子どものこういった反抗的な態度に手を焼き、困り果てている親の話を聞くこともあるが、それでもやはり思春期の反抗はあった方がいい。精神的に成長してきたからこそ出てきたもので、子どもはまず身近で安心できる親に対して自己主張の練習をしているのだ。それがあるからこそ、外の人に対しても言うべきことが言えるようになる。将来社会に出た時に誰かの言いなりになったりせず、ちゃんとNoが言えるようになる。この時期を経験し、超えていくことで、肩肘張らずに自己主張ができるようになっていくのだろう。

 私も、50代で反抗期的な態度というのも問題かもしれないが、しかし相談室を引き継ぐための新しい自我を作り自立するため、少し思春期的な傾向が高まったのだろう。だからこそ外からの刺激に対してやや用心深くなったのかもしれない。

 先日、知人がホームページ上でエッセイを書いていると知り、読んでみた。彼女らしさが伝わる内容、文章で、いいなぁと思った。一瞬、私もこんなことも書いたほうがいいだろうかと考えたが、実際に何か書こうと思うと、結局は自分のやり方になる。そういう自分を発見できたこと、そして彼女の書いたものをいいなと素直に感じられたことに少しほっとした。

 

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