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モノラル録音

 少し前に、NHKのラジオ番組でギーゼキングというピアニストの特集番組があった。今年は生誕130年とのことで番組が企画されたらしい。私は今までこのピアニストのことをほとんど知らなかったのだが、音楽も、また番組で紹介されたエピソードも興味深いもので(実際の練習をほとんどせず、楽譜を見て頭の中でピアノを弾くという独自の練習法、それでもピアノの難曲をさらっと弾きこなす、音楽学校に入学はしているもののピアノはほぼ独学で、しかもいわゆる義務教育はほとんど受けておらず読み書きなども独学、医者をやめて昆虫の標本を作る仕事をしていた父親の影響で蝶の採集が趣味で、コンサートのため来日した時も蝶を採集するための道具を持参し、空き時間には実際に蝶を探しに行っていた、などなど)、4日かけて放送された番組を、聞き逃し配信も利用して全て聞いた。

 今年生誕130年、しかも60年の短い生涯だったということもあり、録音は古いモノラル録音がほとんどで、コンサートのライブ録音はわざわざ「お聞き苦しいところも多いですが」と断りを入れて流すほど雑音が多かった。しかし現代の最新技術によるクリアな録音よりも温かみが感じられて、聞いていて穏やかな気持ちになった気がする。しかも、コンサートのライブ録音では、素人の私でもここは間違えているんじゃないかと分かるほどのミスタッチがけっこうあちこちであり(番組の中でも難しいところは余裕で弾きこなしているのに簡単なところでミスタッチがあると話題になっていた)、それもギーゼキングという人の人間性を示しているようで面白かった。間違いのない演奏よりも音楽全体の流れを大事にしていた人らしい。

 完璧な演奏を最新の技術で録音したようなものも、演奏家の才能の真髄に触れるような気がして、もちろん聞いてみたいと思う。しかし今回、すこしくぐもったような昔の古いモノラル録音をいろいろと聞いて、確かに音が良いとは言えないけれど、気楽にのんびり、のびのびと聞ける気がした。古いレコードを愛好し収集している人がいるが、やはり古い録音ならではの良さがあり、今のCDにはない魅力が感じられるのだろう。

余計なものが一切ないものには確かに純粋な美しさがある。しかし日常生活を生きる中で、間違いやあいまいさを一切排除して完璧ばかりを追い求めることはできないのではないか。私たちは良くできたロボットではないのだ。

 カウンセリングには、間違いとしか思えないことや思い通りにいかなかった出来事に苦しみ、はっきりしないもやもやした思いを抱えてやってくる人がいる。しかし、よくよく話し合いを重ねていくと、余計なことと感じられるようなことや不必要だと思われたこと、どうして自分がこんなことに巻き込まれなければならなかったのかと感じられる出来事の中に案外重要なことが隠れている場合がある。はっきりしないもやもやのところにこそ、言葉にならない大事な思いが潜んでいる場合がある。

 クリアでない、澄んだものではないからこそ、そこに様々なものが含まれている。はじめはにごりの中に何があるか分からず、それが汚いもののように見えるかもしれない。しかし、案外そのなかに何か良いものが隠れていたりもする。そういったものが何かないかと根気強く探し続けるのがカウンセリングだとも言えるだろう。

 

 

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