· 

モノマネ

 先日、知人数人と食事をした。その時にあるひとりが、突然私のモノマネをはじめた。私自身はそれが自分に似ているのかどうかさっぱり分からなかったが、周りは大受けだったから相当に似ていたのだろう。それにしても自分がモノマネの対象になるというのは妙な感覚だ。自分のモノマネが大いに受けているのを目の前で見て、どういう表情をしてよいのかさっぱり分からない。

 この仕事を始めた時は分からないことだらけで、しかし何とか少しでもうまくやりたいと、いろいろな勉強会に行ったり、スーパービジョンにも通って指導を受けたりもした。人の事例発表を聞いて、なるほど、と思うようなことがあると、そのやり方を自分も取り入れたり、カウンセリングや心理検査の中でのやり取りについて、スーパーバイザーの先生が自分のやり方など具体的に話をされると、早速それをまねして自分もやってみたりした。職人や芸事に携わる人なども、先輩や師匠のやり方を見て学ぶ、芸を盗むものらしいが、最初は皆、人のまねから入る。しかしまねだけでは長く続けられないのではないか。

 いろいろな先生から、この仕事は10年、15年続けてやっと一人前だと言われてきた。すぐに結果が出なくても一ある定の長い年月、勉強し続けられる試行錯誤を繰り返せることが大事なことだと、30年近く仕事を続けてきて感じている。それがあって、やっと自分なりのスタイルが出てくるものではないか。

 先日、事例研究会である人の事例発表を聞いた。良い発表でとても勉強になった。若いころは人の話を聞いてそのまねをしたりしていたが、今はただのまねでは自分自身の言葉にはならず、それをカウンセリングの場で話してもしっくりこないと感じる。いくら良いものでも、まねだけでは私自身が納得いかない。良いと思うものはもちろん取り入れる。しかし単純なまねだけで終わるのではなく、自分なりに考えることが必要なのだろう。取り入れたものを養分とし、それを十分に発酵させ、自分なりの味にしていくことが必要なのだ。

 私のモノマネを披露した知人は、周りにいる様々な人のモノマネがとにかくうまい。モノマネ好きで、モノマネとはこうあるべきという彼女なりの考え、信念もあるようだ。彼女のモノマネを見ていると、彼女なりの視点や切り口があり、彼女なりの味付けもあって、普段は気がつかないその人の特徴を明確に示すところがある。モノマネというのはただのまねではない、だからこそおもしろいのだろう。

 

 

〈次へ  前へ〉