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繰り返す

 公開中の映画「国宝」を見に行った。

 1週間の間に相談室でお会いしている3人の人からこの映画の話を聞いた。1人目の人に「とても良かった」と話を聞いてから3日後、別の人から同じように良かったと話を聞いた。2度続けて同じ話を聞くということは、この映画を見にいった方がいいということだなと考えていたところで、その翌日にまた別の人がこの映画を見に行ったという話をした。そこでもうこれは必ず見に行かなといけないと思い、上映スケジュールを調べて、やっと週末に見に行った。

 3時間近くある長い映画だが、出演している役者が皆、素晴らしい演技で、見ごたえがあった。主人公を演じている吉沢亮さんがどこかのインタビューで話をしていたが、だんだんと現場には台本を持っていかなくなり、その時に出てくるせりふでしゃべっていたのだそうだ。よほど役になりきっていないとできないことだと思う。

 

 ところで、基本的に、繰り返されることは深く考えてみる必要があることだと思っている。例えば同じ夢を繰り返し見たという話を聞くことがあるが、そこには何か考えるべき何かがあるからこそ繰り返されるのだと思う。

 この仕事をはじめたばかりの頃、よく試験の夢を見た。毎回細かい設定に多少の違いはあるものの、いつもパターンは同じで、試験が近いことに突然気がつき、全く試験勉強をしていないどうしようと焦る、国語と英語は何とかなるかも知れないが、数学だけは今から勉強を始めてもどうにもなりそうもないと思う、という夢だ。あまり何度も繰り返すので、本当に数学の勉強をしようと、岩波新書にあった数学の入門書のような本を買って読んだ。そのおかげもあってか、その後少しずつこのパターンの夢は見なくなっていった。

 今思うと、当時は仕事を始めて間もなく、いろいろと力の不足を感じることが多かったのではないか。自分がクリアしなければならない課題がいくつもあるように感じていたのだろう。国語や英語は何とかなる、つまり感情・情緒面の理解やコミュニケーション、異なる文化の理解についてはなんとかクリアできるかも知れないが、数学的な思考、つまり抽象的・論理的な理解、理屈や理論で物事を考える力がだいぶ不足していたのではないか。そういった面での問題を夢は繰り返し訴えていたのではないかとも思う。本当に数学の入門書を読んでみるというのは理屈・理論で考える方法を勉強することになり、それほど的外れな対応でもなかったと思っている。

 

 

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