長谷川泰子
見たいものがあって、キッチン用品の店に行った。本来の用事はすぐに済んだのだが、こういうところはあれこれ見始めるときりがなくなる。
もともと調理器具にこだわる方ではなく、普段はそのへんで買った適当な鍋やフライパンを使って料理をしている。良質のものを使いこなせる自信もないし、緊張して気軽に料理ができなくなる気もして、分相応なものをそれなりに満足して使っている。
ただ、調理器具やキッチン周りの品物は見ているだけで楽しい。先日行った店には、フライパンが小さいものから大きなものまでずらっと並んでいた。その一つ一つをちょっと持って振ってみたりして、この大きさならこういうものを作ろうか、こっちの大きさならああいうものを作ろうかと、頭の中であれこれ想像する。他の調理器具でも同じことで、やかんを持ってちょっと傾けてみたり、おたまを軽く振ってみたり、あぁいいなぁ、こういうのあるといいなぁ、おしゃれで素敵だなぁ、などと考えてみるのだが、だからと言って本当に買いたいのかというと、どうもそれともちょっと違う。ただ「もしこういうものがあったらどうなるか」という仮定の生活を頭の中で想像して遊んでいるようなものだろう。
こういう「もし~だったら」の話は、行きすぎなければ、つまりきちんと地に足をつけて、自分を見失わなければ、一つの遊びとなる。おままごとと同じだ。空想の世界でしっかり遊ぶこと、そしてそこからきちんと現実に帰ること、それがルールで、想像の遊びはそれをきっちりと守る強さが必要になる。
子どもは遊びを通して現実世界と心の中の世界を行ったり来たりする。それによって外の世界のルールも自分だけのこころの世界も、両方を維持して守っていく強さが作られていくのではないだろうか。
キッチン用品の店を一通りあれこれ見て、結構楽しんで店を出た。何をするわけでもない、ただ見て回っただけだけれど、それなりにリフレッシュできたような気もする。