節分を過ぎて

長谷川泰子

 

 節分を過ぎた。節分が過ぎると、なんとなく気持ちがほっとするは私だけだろうか。

 昔から冬から春になりきるまでの時期が苦手だ。なんとなく気持ちが落ち着かない。寒い季節に縮こまっていたものをどう開放していいのか、どう緩めていいのか、とまどうような気持ちになる。

 冬至を越えると少しずつ日が長くなってくる。1月の成人式や共通テスト(以前の言い方で言えばセンター試験)が行われる頃は、このあたりでも雪が降ることがあり1年の中で最も寒い時期だが、一方で日差しは少しずつ明るさを増してくる。気温は低く寒いのに、春の訪れを予感させるようなところがあって、変化を意識させられる。変化、前に進むことを促されているような感じもするのだが、これは私の適応能力が高いとは言えない私の主観的な感じ方なのかもしれない。

 節分を迎えると、暦の上では春だと言われる。この「宣言」が意識の上では大きいような気もする。冬なのか春なのか、どっちつかずの時期を越えて、もう春なんだ、季節はやっぱり変わっていくんだと観念するような気持ちにもなる。ここ数日は関東では雪が降ったようだが、日差しは確かに明るくなってきているし、スイセンなどの花も咲き始めている。暦どおりに春が訪れていることが目に見えて分かることもあって、変化を受け入れる気持ちにもなるのだろう。

 節分を過ぎるとほっとするのは、変化に対してしり込みするような態度だったところに、変化を受け入れざるを得ない気持ちがうまれ、少しずつ自分なりに進んでいこうかと主体的なところが出てきたことでやっと腰が据わるからなのかもしれない。

 

 

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