健全な自信

長谷川泰子

 

 少し前に、ある先生にかなり久しぶりにお会いした。以前にお会いしたのは数年前、メールなどでのやり取りはあったのでそれほど時間が空いた感じもしなかったが、尊敬する先生に直接会って話をするのはメールのやりとりとは違ったうれしさがある。いろいろな話をして、パワーをもらって帰ってきた。

 今回びっくりしたことがひとつある。どうも私はその先生の方を実際よりもずいぶん背の高い方のように思っていたらしい。久しぶりにお会いして、自分の持っていたイメージよりもその先生が小柄であったことに驚いた。

 どうしてこういうことが起こったのだろうと考えてみたが、今までの私はかなり「小さく」なっていたのではないかと思った。こちらが小さくなれば他のものは全て実際以上に大きく見える。「小さくなる」ということを謙虚とか控えめという言葉で言い換えれば聞こえはいいが、私の場合はどうもそれとも違い(実際、他の人からはあまりそういうふうには見られていないようだ)、必要以上に自分を抑えたり、主張しなかったり、自信を持つことを避けていたりしたのではないか。自分勝手で根拠のない自信ははた迷惑なものだが、それとは違って当然持つべき必要な自信、節度のある健全な自信もある。できるはずのことやトライしたほうがいいようなことも「自信がない」からとしり込みし、前進を避けている限り変化はない。安全で楽だ。しかし本来背負うべきことも背負わずに済ませることになってしまう。

 昔は心理臨床学会が開催される時、いつも河合隼雄先生のワークショップに参加していたが、河合先生が講義の中で敢えて難しい道を選択して進んでいくことの重要さについてしばしば語っておられたように記憶している。河合先生独特の語り口調をそのまま再現できないのが残念だが、河合先生の臨床に対する姿勢や生き方・考え方を表わしているような気がして今でも強く印象に残っている。

 相談室を引き継いだことで立場や責任の重さも変わり、必要な自信を持ち、引き受けるべきものをきちんと引き受けて前に進んでいくことの重要性を意識することがしばしばある。マニュアルのない自分だけの道を歩むことの怖さも感じるが、そこに足を踏み入れることで自分だけの景色を楽しむこともできるはずだろう。

 

 

〈次へ  前へ〉