心の栄養補給

長谷川泰子

 

 12月ということもあり、今年1年を振り返ってあれこれ考えることが多い。

 相談室を引き継いで3年が経過し、今年は少し一息つくような心持になって来たのか、仕事以外の時間にゆっくりと好きなことをして過ごすことが増えてきた。例えば音楽を聴いたり美術館に絵を見に行ったり、そんなことをしている。音楽を聴くと言ってもコンサートに足を運ぶところまではいかないが、昨年までより積極的に音楽を聴くことが増えた。車の中で聞いたラジオでいいなと思ったものをCDで買い、後から何度も聞き返すようなことがしばしばある。先日も朝の番組で流れていたピアノ曲があまりに美しく、ぜひCDをと後から調べた。評価は高いようだがすでに廃盤らしく、中古のものも見つからない。残念で仕方がない。美術館に出かけることも増えて、時には県外まで遠征する。今年は東京で行われた研修会に講師として2度も呼んでいただいたが、この時もせっかくの機会だからと美術館に行って来た。コロナの扱いが変わり、外出することへの抵抗感が少なくなってきたことも美術館に行く回数が増えたことと関係しているかもしれない。

 音楽や絵を楽しむ時間が持てるようになり、改めてこういうものは心の栄養補給だと感じる。自分の好きな音楽を聴いていると、体全体にマッサージをしてもらったかのようにリラックスすることがある。美術館で何だか良く分からないけどいいなぁと思う絵を見つけると、絵によって心がじんわりとあたたまるような感じになったり、心の中に風が吹き抜けていくような新鮮な気持ちになったりすることがある。

 映画を見るのでもいいし、読書でもいい。旅に出るのもいいだろう。目に見えて役立つことだけでなく、心動かされる何か、心が満たされる何かがないと私たちは日々の生活を送っていくことが難しくなるのではないか。心の飢えは生きる意欲の低下につながるようにも思う。

 ただ心理の仕事をしている者として強調したいのは、栄養補給といってもタイミングや個人の好みがあるということだ。胃腸が弱っているときに栄養過多の重い食べ物は食べられない。消化不良を起こしてますます体が弱ってしまうだろう。弱った胃には、まずはおかゆや、それも難しければ重湯のようなものが必要だ。それにどんなに体に良い食べ物でも、嫌いなもの・苦手なものは受け付けられない。アレルギーを起こす食べ物だってある。無理に食べさせようとすれば外傷的な体験になってしまう。それと同じように、心の栄養補給も好みに合わないものであればかえってストレスになる。心が疲れている時、弱っている時にはそれ相応のものが必要になるのだ。例えばゆっくりお茶を飲んだり、ただ空を見上げたり、それも難しければひたすら寝ることだったり、まずはそんなことが重要になったりする。すぐに回復させるために一気に栄養を与えてというようなやり方は、それがどんなに栄養があるものだったとしても消化不良を起こしかねない。その場その時、その人に合った栄養のつけ方を考えることが大事だと思う。

 

 

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