不思議なこと

長谷川泰子

 

 カウンセリングの仕事をしていて不思議だと思うことがいろいろある。

 先日ある臨床心理士の先生と仕事の話をしていた時に、新規の相談申し込みの話題になった。「相談に来られていた方のカウンセリングが終わってしばらくすると、だいたいそこに次の相談の申し込みが来る」と言う。時間が空いたなと思うと新しい申し込みがあって、大きな変動がなく一定のペースで仕事をしているような感じになる。

 コロナ前まで20年以上続いていた事例研究会があった。前室長の西村洲衞男先生を中心としたごく少数のメンバーによる会だ。参加者にXさんという人がいて、西村先生をはじめ参加者全員、このXさんの事例発表をいつも楽しみにしていた。特に何か変わったことをしているわけでもなくXさんは淡々と自分の仕事をしている。しかし事例発表を聞くと、いつもXさんにしか会えないような個性的なクライエントと、Xさんにしかできないようなやり取りをしている。難しい問題を抱えたクライエントもXさんとのカウンセリングを経て、それぞれの道を見出していた。Xさんは控えめな人で、自分の宣伝をあちこちでしているわけではない。しかしこのXさんのところには、どういうわけかXさんしか会えないような個性的なクライエントが集まる。どうしてクライエントはXさんのところに行くといいと分かるのだろうと、いつも皆で不思議がっていたものだ。

 カウンセリングの過程で見られる不思議な偶然の一致については、ユングが「共時性」という概念でまとめて本にしている。西村洲衞男先生は、良いカウンセラーほどカウンセリングの中で良い偶然や不思議な体験が起こるものだと言っていた。私自身は、良い流れがある時に良い偶然、良い出会いがあるような気もしているが、どうだろう。

 良い偶然や良い出会い、不思議な出来事を体験することを直接の目的にしてカウンセリングをしているわけではない。しかしそういった良い体験がありますようにと心の中で「祈る」あるいは「願う」ような気持ちはいつもどこかにある。いわゆる「神頼み」とは異なる。人としての努力、臨床心理士として最善の努力はもちろんする。それをした上で、人が関わることができないところで良い動きがあることを願う、他力本願的な姿勢とも言えるだろうか。河合隼男先生は良く待つことの重要性を強調していたが、河合先生の言う「何もしないことに全力をかける」ような態度にもつながるところがあるかもしれない。

 

 

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