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ある失敗

長谷川泰子

 

 先日、少し離れたところに住む、同じ仕事をしている後輩2人と会って食事をした。久しぶりにいろいろ話をして楽しい時間を過ごした帰り道、この2人との関りが持てたのも、あるいは今つながりのあるいろいろな人たちと出会えたのも、考えてみればずいぶん前のあの失敗があったからこそだと考えた。

 

 カウンセリングの仕事がしたいとずっと思っていた。大学卒業後は、当時できたてほやほやの臨床心理士の資格を取るために大学院に進学しなければならなかったが、大学時代にあまりまじめに勉強をしていなかった私は希望する大学院の試験に落ちてしまった。他の進路は何も考えていなかったし、やはり心理の仕事がどうしてもしたい。1年浪人して、再度同じ大学院を受験した。しかしなんと2回目も不合格となってしまった。前回の失敗もあり、念のため別の大学院も受験していて、幸いにもそちらは合格だったので、一応の行先は確保した。希望のところではなかいが、何より早く心理の勉強がしたかった。大学院に進学した学部生時代の同級生は多かったが、私だけが院試に失敗し、皆の大学院生活をうらやましい思いで聞いていたからだ。

 希望の大学院に入れなかったこと、2回も院試に失敗したことを、当時はそんなに気にしているつもりもなかった。進学した大学院での経験を考えると、むしろこちらで良かったと思うことがたくさんあったからだ。ただやはりどこかで自分の失敗がコンプレックスにはなっていたと思う。ストレートに進学できなかったことを隠すことまではしないが、なんとなくうやむやにして話をすることも多かった。

 しかしやはり、あの時希望通りの大学院に進んでいたら今の私はなかったのだ。今まで出会ってきた多くの人と関りを持つこともできなかった。檀渓相談室の前室長、西村洲衞男先生は、自分が進学した大学院で出会ったのだから、あの失敗がなければこの相談室で仕事をすることもなく、相談室を引き継ぐこともなかったはずだ。

 

 そうは言っても、今でも当時の自分の失敗に対してもやもやとした思いはある。それを簡単に消すことはできないし、自分の正直な気持ちを無理に消す必要はないとも思う。ただ、あの時から自分が出会ってきた多くの人たちとの関りが重みを増すにつれ、当時自分が体験した出来事を失敗とだけとらえるのではなく、必然、あるいは大きな幸運と考えても良いような気持ちも出てきている。

 

 

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