良い本とは

長谷川泰子

 

 最初読んだときはあまりに難しくて何が何だがさっぱり分からなかったが、時間がたつと読めるようになる本がある。ユングの「心理学と錬金術」(人文書院 C.G.ユング 池田紘一・鎌田道生訳)もそうで、今までに何度か挑戦してみたことはあるが、前半はなんとか読めても(前半Ⅰは事例中心)、後半Ⅱの方で錬金術の話が始まるととたんについていくのが難しくなる。錬金術の用語になじみがないこともあってなおさら理解が難しい。それでも今まで何度か手にとり、そのたびに一応最後まで目を通していたが、分かったような分からないような気持ちでなんとか読み終わる、ということばかりだった。

 先日、「あれはどういうことだったかな」と気になったことがあり、確かそれについては「心理学と錬金術」の中に書いてあったように思って再びこの本を手にした。読んでみるとやはりよく分からないところはいろいろあるのだが、今までとは違ってとにかくおもしろい。どこがどうおもしろいのかうまく説明できないし、内容を要約することもできないのだが、夢中になって読んでいるのは確かで、今までとは読むスピードが全く異なっている。

 若い頃に、スーパーバイザーの先生や、それに前室長の西村先生にも、心理学の本を読んでもあまり役に立たない、というようなことを言われたことがある。もちろん、本を読んで勉強しないといけないことはたくさんあって、2人の先生もそれを否定しているわけではないのだが(その証拠に、この本は読んだほうがいいと勧められた本もたくさんあった)、しかし本を読んで分かったような気持ちになるのも危険で、それが臨床の役には立たないというのも事実である。今回、自分が体験したことから考えると、ある程度の経験がないと分からないことや、必要な知識がないと理解できないこともあるのだろう。それなしにただ知識を詰め込んでも、場合によってはそれが有害になることすらある。

 ユングは「心理学と錬金術」の中でこう書いている。「本を書く人間がいれば何処においても同じであるが、錬金術文献の著者たちにも優れた著者と下らない著者とがいることは言うまでもない。中には香具師的誇大宣伝で固められている本や、気違いじみた本や、嘘八百を並べて人を騙そうとたくらんでいる本もある。しかしこのような無価値な本は難なく見分けがつく。いやというほど沢山の処方を書きつらねている、書き方が好い加減で教養が全然感じられない、やたら地秘密めかそうとしてる、びっくりするほど機知に欠けている、恥ずかしげもなく二言目には黄金(きん)だ黄金(きん)だと言っている ─ これが無価値な本の特徴である。秀れた本を見分けるには、苦心と努力が感じられるか、周到綿密な配慮がなされているか、精神的格闘の跡がはっきり読みとれるか、これに注意しさえすればよい。もしこの答がイエスであればそれはつねによい本である」(Ⅱ 第三部 錬金術における救済作業 第三章 作業 124ページ)。錬金術に関する本に関してという書き方はしているが、本一般に対するユングの考え、それもちょっと皮肉まじり、が読みとれて、おもしろい。本ではないが、私もここでこうして文章書いていることもあって、少し自分を戒める気持ちも持ちながらユングの意見を読んだ。優れた素晴らしい文章は書けないにしても、「苦心と努力」ぐらいは何とかできるだろうか。

 

 

〈次へ   前へ〉