梅雨に思う

長谷川泰子

 

 7月に入って暑くはなってきたが、梅雨は明けておらず、相変わらず雨の多い時期である。

 こういう心理・カウンセリング関係のブログや何かの便り(心理士が勤務している、例えば学校や会社などで出しているカウンセラー便り、相談室便り、のようなもの)でしばしば見かけるのが“季節の変わり目だから体調に気をつけるように”といった話題だ。

 この相談室を引き継いでこうやって文章を定期的に書くようになるずっと以前に、私も当時働いていた職場でカウンセラー便りのようなものを出して欲しいと頼まれたことがあり、臨床心理士としての視点でエッセイのようなものを定期的に書いていたことがある。今よりずっと経験が浅く、臨床心理士としての視点といってもはっきりとした何かがあったわけではないが、それでもスタートする時に「せっかく書くなら自分で考えを自分の言葉で書こう」とこころに決めた。ありきたりのことを書いていては話題が続かないし、何より未熟でも自分の言葉で書かないと読む方だっておもしろくないだろうと考えたからだ。

 今でもその時の方針は変わっていない。だからこそ一般的でありがちな話題は避けようと思っているのだが、そう思っていても今年の梅雨は「天気のせいか調子がすごく悪い」という話を本当によく聞いて、やっぱりそのことが書きたくなってしまった。私自身がもう若いとは言えない年齢に差し掛かり、季節の変わり目や環境の変化に前以上に敏感に反応するようになったからか、こういう話題をより身近に感じるからかもしれない。意識してもしていなくても、自分が気になっていることや関心を持っていることとには気がつきやすく、目が向きやすいものだ。

 みなが同じ世界に生きているようでいて、一人ひとりが見えている・感じている世界のありようはそれぞれ微妙に、あるいは大幅に異なっている。一人の人間の中でも、その人のあり方によって、周囲の世界の見え方はその時々で変わってしまうものだ。例えばあるひとりの人間に対する評価も、人によって大幅に変わる。同じ人間の中でさえ、その時々によって、相手がとてもいい人に見えることもあれば、冷たい人間に見えることもある。ひとりの人間に対してこうなのだから、世界全体をどう見るかは、人それぞれ、その時日の時によってかなり異なるのは当然だろう。

 世界は変わらないというのも事実だが、一方で、それを見る“私”のありようで世界はころころと変わり続けているのももうひとつの事実だ。自分の見方だけが絶対ではない。今の見え方がずっと続くわけでもない。カウンセリングは今の世界の見方を再検討する場でもあると言えるだろう。

 

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