私の修業時代

長谷川泰子

 

 学生生活を終えるころ、当時は臨床心理士の資格が誕生したばかりで世間にもあまり知られておらず、非常勤であっても心理職としての仕事を見つけることは非常に難しかった。実際に私も3月に入っても仕事はひとつも見つからず、このまま研究生として大学に残って求人が出てくるのを待つしかないなと、あきらめ半分に考えていた。本当に仕事がないのだから探しようもないのだ。仕方ないと思っていたところに、3月も20日を過ぎたところで、あるところから前任の人が急にやめることになり空きができたと話が来た。なんと常勤の仕事である。今も心理の仕事で常勤職を見つけることは難しいが、当時は至難の業であった。もちろん行くしかない。仕事の中身もよく確認しないまま、就職が決まった。

 仕事を始めてみると、とにかく毎日心理テストばかりである。カウンセリングの仕事にあこがれて大学院まで行ったのだし、早く一対一の面接がやってみたいのに、来るのはテストの仕事ばかりだ。同期の知人や、更には後輩さえもが事例研究会などで自分のやっているカウンセリングのケースについて発表をしていたりすると、自分はこれで本当にいいのか、大丈夫なのだろうかと焦った。

 辞めたいと思いながらも常勤職を手放すのは惜しく、他に何か仕事があるわけでもない。周囲にも辞めたい辞めたいと言いながら10年近い時間が過ぎたところで、突然状況が変わってきた。職場内に様々な変化が生じ、カウンセリングの仕事を急に次々と任されるようになったのである。

 今、同じ仕事をしている仲間からは、私の強みは心理検査の経験が豊富なことだと言われる。確かにロールシャッハテストやバウムテストなどの投影法の心理検査の経験が、カウンセリングの実践や箱庭の理解などに大いに役立っていると実感する。先日、河合隼雄先生の自伝「未来への記憶」を読み返していたら、河合先生も「ロールシャッハの河合」と言われるほどにロールシャッハテストに打ち込んでいた頃があったことを改めて知り、私のあの長い心理検査漬けの日々は、臨床心理士としての修行期間だったのかとしれないと思い返した。おそらく心理検査の経験を積むということだけではなく、次の展開を辛抱強く待つことで鍛えられた何かもあったという実感があるからこそ、今は穏やかに修行の時だったとプラスに評価できるのだろう。

 自分がこういう経験をしたからと言って、いつもどんなことでも、嫌なことでも辛抱したほうがいいとはとても断言できない。道はそれぞれに異なる。今、この場合、ここではどうしたらいいかを毎回一緒に考えるのがカウンセリングだと思っている。

 

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