仕切り直し

長谷川泰子

 

 ここ最近「仕切りなおし」を意識させられることがいくつも続いた。

 うまくいかないことがあるから仕切り直しが必要になるわけで、そういうことが続いて起こると次々とトラブルに見舞われているように思えてくる。あまり気分のいい体験とは言えない。自分にどこか良くないところがあるからこういうことになったのではないか、もう少しうまいやり方があったのではないか、ああしておけば良かった、こうすべきだった、などと考え込んでしまう。

 しかし、必要に迫られ追い立てられるように、渋々、あるいは覚悟を決めて、今うまくいかなくなっているところに手を入れて新たな流れを作ろうとささやかな四苦八苦を繰り返しているうちに、少しずつまた一からスタートだという気持ちが芽生えてきた。何も自分が悪くてこういうことが起こっているわけではないのかもしれない。自分の中に変化が生じてきて、これまでのやり方では今の自分とずれが生じているからこそこういうことが連続して起こるのかもしれない、そんなことを考えた。

 ヤドカリは成長すると背負っている貝殻を新しく変えていく。体が大きくなれば今までのものでは窮屈になり、当然、より大きな、成長に見合った貝殻を必要とする。それと同じで、今までのものはもう古くなっているのかもしれない。だからこそ、仕切りなおしが必要なのではないか、そんなことを考えた。

 思い通りにいかないようなことや予想外のトラブルが起こると、どうしてもマイナス面ばかりに目が行く。必要以上に自分を責めることも多いのではないか。しかしものごとにはマイナスの面もあれば必ずプラスの面もある。一方の面ばかりに注目するのは客観的な見方だとは言えない。「私が悪い」と考えるのは謙虚な態度にも見えるが、バランスを欠いた公平でない見方だとも言える。周りを責めてばかりも良くないが、自分だけが責めを負おうとするのも問題の本質から目を逸らすことになる。そこであれこれと考えても良い結果には結びつかないと思う。

 仕切りなおしてまた小さな一歩を踏み出す。新しい何かが見えてくるのかもしれない。それを期待してもいいような気がした。

 

 

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