表舞台を支える

長谷川泰子

 

 カウンセリングでお会いしている人の中に、長い間来談を続けている人がいる。すでにひと山もふた山も越えて、来談のきっかけとなったような当初の問題なども乗り越え、来談の回数は減ってはいるものの来られれば必ず次の約束をして帰る。

 精神分析家の北山修先生が心理療法楽屋説についてしばしば話をされている。ミュージシャンとして芸能活動の経験がある北山先生らしいアイデアだが、こういうふうにずっと相談室に来ることを続けている人のことを思うと、確かに人生の表舞台を支える楽屋としてカウンセリングが機能することも考えてもいいように思う。相談室は何か大きな問題があった時だけに来るものでもなく、日常生活を少し離れて客観的に生きることを振り返って考えたり、自分らしい生活を送るための下準備をしたりする場としても力を発揮するところがあると思う。実際、長く通ってきている人は、相談室をそういうところとして活用しているようだ。

 愚痴ばっかり言ってすいません、とか、人の悪口ばかりでいいのかな、といいながら話をする人がいるが、愚痴や悪口も、カウンセリングにおいては大事な話だ。なぜならそれらは日常生活ではなかなか言えないその人の本音であって、借り物の意見とは違う、その人ならではオリジナルな考えであり主張だからである。だからこそ愚痴や悪口のように否定的な形であっても、自分が本当に思うことをごまかさずに率直に話しをしていると、自分の気持ちや考え、自分自身の枠組みがしっかりしてくる。表舞台で自分なりの役を引き受けて生きる勇気が湧いてくる。

 ただ、やはり表の場では本当のことはではなかなか好き勝手に言えない。だからこそ表からちょっと引っ込んだ日常生活から切り離されたところできちんと話をしておくことが表舞台でそれなりの役をこなすためには必要になってくる。別にカウンセリングの場でなくてもいい。でも、カウンセリングでこころの専門家と話し合うのも悪くない。

 特に大きな問題にぶち当たったときでなくても、自分なりのニーズに沿って相談室を利用してもらえればと思う。

 

 

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