野生の思考

長谷川泰子

 

 「夏季集中」と題して檀渓心理相談室で行ったバウムテストのセミナーは、先日3回の予定を全て終えた。外部に案内を出して参加者を募ってのセミナーを開催するのは相談室を引き継いでから初めてのことで、緊張もしたけれどやってよかったと思う。

 平日の夜にわざわざ3回も参加費を払って勉強に来てくれるのだから、当然のことながら参加者は皆、やる気ある熱心な人たちばかりだ。何より、こういう人たちと接することが自分にとってプラスになる。自分もがんばろう、という気持ちが自然に湧いてくる。さらに言えば、初めて会う人に向かって話しをするのは相手がどういう人か分からないだけに緊張はするが、だからこそ予想しない新しいものが出てくる可能性がある。今回は定員を少なくしただけ参加者との関りが持ちやすく、講師が一方的に話すだけのセミナーにならずに済んだ。終わってみて、新たな出会いや新鮮な体験が自分の枠や殻みたいなものをぐいっとひろげてくれると実感する。例えは悪いが、若い女性の生き血をすすって生きるドラキュラみたいなもので、自分にとって新しいもの(別に若い女性でなくてもいい)に出会うこと・触れることが自分自身を生かしていくところがあるように思う。

 もともとは新しいものに対して警戒心を持ちやすいほうだと思っているが、そういう自覚があるからこそ、なんとかがんばって新しいものに触れる機会を持たないとと、だんだん意識するようになった。意識していないと、ぬくぬくした毛布に包まったまま、いつまでもそこから出てこなくなってしまう。冬の朝に布団から出るのは一大決心が要るものだ。

 学生時代に読めと言われてレビィ・ストロースの「野生の思考」を読んだ。難しいけれど視点をガラッと変えてくれるようなところがあって、よく分からないけどすごいと感動したのを覚えている。なかでも未開社会の結婚の制度を検討しているとろを読むと、一見あまりに複雑で、どうしてこのようになっているのか理由がよく分からない制度が、異なるもの・新しい血を取り入れるために工夫されたものらしいというところが見えてくる。自動的、あるいは強制的とも言えるようなやり方でなんとしてでも新しい血・異なる要素を取り入れようとしている。そうすることで閉鎖的な社会にならず、自分たちの子孫に強い血を残すようにしているようだ。そういう仕組み・構造を「野生の思考」で、おそらく無意識的に作り出しているらしい。

 現代には未開社会にあったような複雑な結婚の制度もタブーはない。厳格な掟もない。一定のルールはあるが、自分の意志で自由に選択することができる。しかしだからこそ、見知らぬもの、異なる要素を取り入れにくくなっているかもしれない。自分自身をぐいっとひろげられるようなことは、それはそれで面白い体験でもある。未開社会の人々がなんとしても生きていくために必要だと無意識的に感じ取った、新しいもの・異質なものとの出会いを少しでも楽しめるようになりたい。

 

 

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