西村臨床心理学 自分とたましいをつなぐもの もう一つの改訂版

 「西村臨床心理学 自分とたましいをつなぐもの (改訂版)」というタイトルで保存されていた文章です。最終更新日は8月15日で、次回公開する西村臨床心理学1-11とされている文章よりも後、この西村臨床心理学と題されている文章の中でも一番最後に書かれたもののようです。

 

 

 

 

西村臨床心理学 1-10 

自分とたましいをつなぐもの (改訂版)

 

 

 自分とたましいをつなぐもの

 自分は対象を意識する。自分以外のものはもちろん自分の考え方や行動や体のこともいしきする。花を見ているときは他のものは見ていない。自分はあるものにとらわれがちである。だから、一つのことだけでなく周りのこともよく考えて心の視野を広げることが必要だと言われる。それが謙虚な態度であり、自分のことばかりでなく広く物事を見て考える人格的な人のしるしである。

 夜眠っているときに見る夢は不確かであるから中々信用できるものではない。しかし、その不確かな夢を意識的に記録し、それを謙虚に検討し続けていると何となく人生がうまく行くということを私は長年の心理臨床経験から感じ取ってきた。

 西郷信綱著『古代人と夢』は私の夢分析(夢による心理療法)の参考書の一つであるが、その末尾に、平安時代のあるお役人が夢を記録し続けていたと書いてある。平安時代はまだ夢を信じる古代人的な考えの人がいたのである。そのお役人は、夢を解くのを仕事にしている人は夢を見た人に好意的な解釈をするので、夢の解釈を他人に頼まず夢を記録するだけにした。そうしているうちにお役人はある程度の望ましい地位に就いた。夢の記録はそこで終わっていた。

私はこの記述から、現代でも、夢を記録し続けるなら人生がうまく展開していくという仮説を立てた。

 幼い時の忘れられない特別な夢以外の、成長してからの夢は記録しないと忘れられていくはかないものである。はかないもののたとえに夢のように儚いという言葉がある。儚い夢が自分とたましいをつなぐものではないかと今では考えている。

 

 

 

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