西村臨床心理学 イメージ

 「西村臨床心理学 1-9 イメージ」と題された文章です。前回公開のものは「1-5 身体の主体性について」で、いきなり1-9に飛びますが、うっかり番号を振り間違えたのか、あとから1-6から1-8までを書かれるつもりだったのか、書かれたけれど保存されていないのかは分かりません。この文章の最終更新日は2019年8月1日です。

 

 

西村臨床心理学 1-9 

イメージ

 

イメージの訳語は心像であるが、心像という言葉は日常的にほとんど使われないから今日ではイメージの方がわかりやすい。印象の方がわかりやすいが夢や空想には使いにくい。だからイメージを使うことにする。

夢や空想はとらえがたいけれど、それを何らかの表現手段で表すと言葉以上のインパクトがある。イメージは意識として残りにくい消えやすいものであり、言葉ほどの明確さはないが、時に強烈な意味を持つことがある。

私の例を挙げると、分析を受けた最初のころ見た夢で、「落葉樹の林の中に入っていくと直径1メートルを超えるくらいの大きなシイタケのようなキノコが生えていた。」それは自分の姿だと直感し、分析家に自分は日陰のキノコでしかないと言った。分析家は「大きいからいいじゃないか」と言った。それでなんとなく落ち着いたが、日陰のキノコのような生活を私はその分析家の下で過ごしてきた。それは予言的で、キノコのイメージでずっと生きてきた。その間ユング心理学にとらわれユングの概念を理解するのに一所懸命であった。

分析家が亡くなり、大学を定年退職して専業カウンセラーとなり、自分なりにこれで良しというカウンセラーとしての自信を得たとき、当時サンフランシスコの山中の禅寺にいた友人を訪ね、これから生きて行く指針を夢に見ないかと思って2週間山にこもった。有意義な夢は現れず、今回は何も収穫がないと思っていたところ、帰国の前々日の朝夢をみた。長い夢の後、真っ暗なシーンになりおばあさんが出て来て巻物を広げ私に向かってお前の60年は闇だったと言って消えた。座禅を終わって朝食の場に行くと友人が、お前はここに何をしに来たのかみんな聞きたいと言っている、話をしてくれというので、さっそく夢の話をした。

「皆さんはこの禅寺(慈光寺、澤木興道老師の弟子、孝文老子が開祖した)で悩みを亡くする修行をしているけれど、自分は心理療法家だからこれから生きるための悩みを見つけに来た。そして今朝夢を見た。その夢は私の問題を明確に示している。私の60年、それは10歳から今まで大学を70歳定年退職するまでの60年である。その間自分は学校で学び、分析も受け、職場では心理療法を教え、私の周りには沢山の学生が集まってきた。それにも関わらず私の仕事は大学や師匠に学んだ借り物の心理学であった。私の本当の人生ではない、借り物の人生だから闇だったのではないかと確信するに至ったと禅寺の皆さんに話して終わった。その後お寺の皆さんの私への態度が柔和になった。

お前の60年は闇だったという指摘は澤木興道老師の『禅に聞け』を読めばわかる。澤木興道老師は私が生まれた頃熊本の川尻にあった曹洞宗の中心的な寺の住職であった。本当は寺に住むべきだが、熊本駅の西側にある万日山の南の高台にある広壮な旅館の景色のいい柴田旅館に住み第五高等学校の学生に禅を教えるとして住んでいた。その澤木老子を世話したことのある小母さんが隣の家に住んでいて老師の生活ぶりを教えてくれた。澤木老子はそこでポンドステーキを食べ小母さんにマヨネーズも作らせていたというのである。澤木老子は他の寺に移っても旅館に住んでいて、宿帳に職業を何と書くか思案したと書いている。澤木老子は禅坊主も捨てて自分の世界を開いた人である。私は70を超えやっと幼い時の想い出からサンフランシスコの山中で老師に出会ったのである。イメージの世界ではこんな不思議なことが起こる。素晴らしいではないか。自分の中で起こったことだが感嘆するほかない。

 

それから10年ほどたった今私は西村心理学を書いている。私の心理学、しかも私の経験夢や箱庭を資料として書く心理学の本である。売れなくてもいい。今自分に言い聞かせるように書いている。

 

 

 

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