蛇になる蛙になる

長谷川泰子

 

 同年代の女性何人かと話しているうちに体調の話になった。みな体調が大きく変化する年代になってきている。今まで出なかったような体の不調を感じたり、機能の衰えを実感したりする。老眼鏡を使い始めた人もいるし、新しいサプリメントを飲み始めた人もいる。

 私もいつのまにか50歳を過ぎ、様々な体の変化を感じているが、一番困るのは体温調節が難しくなっていることである。今年は10月を過ぎても30度に達する日が連日続いているが、この暑さが堪える。クーラーのきいた涼しいところにいればまだいいが、ちょっとでも温度が高いところに行くと、途端に汗がにじみ出る。温度変化に体が対応できないのか、熱が体にこもる感じだ。とにかく暑くて仕方がない。汗ばかりかくので意識して水を飲むようにしているが、こんなに水分を取っていて大丈夫かと思うぐらい飲んでも、それでトイレの回数が増えるわけでもない。相当な発汗量なのだろう。

 汗ばかりかいて、身体的にもしんどい。効果があると言われることはあれこれ試してみたが、完全に抑えられるものでもない。発作のように襲ってくるこの熱・暑さにうんざりするむような思いだったが、最近は、私はもう変温動物になったのだと思うことにした。両生類や爬虫類と同じで、周りの温度に合わせて体の体温を保つような人間が持っている高度な機能はないのだから仕方ない、そう思ってあきらめることにしたのだ。

 三木成夫の「胎児の世界」(中公新書)や「生命とリズム」(河出文庫)を読むと、胎児がお母さんのお腹の中にいるときに魚類から両生類、爬虫類、そして哺乳類へと“進化”を遂げることが示されている。三木は胎児の顔や体の変化を細かく見て、例えば妊娠の初期のころには胎児に魚のえらのようなものが見られるが、それが次第に消えて耳たぶができてくることや、胎児が最初は魚や爬虫類と同じような顔つきをしていたのが(例えば額にあたるものがない)、お腹の中で“進化”を遂げて顔つきも人間らしく変化していく様子を示している。胎児はお腹の中にいる間に「今日までの三十数億年の長い進化の過程を、なにか幻のごとく再現」(「生命とリズム」より)し、誕生するのだという。

 つまり私たちはみな、魚類から始まり、両生類、爬虫類と進化した上で人間となって生まれてきているのだから、今私が老化・退化して両生類・爬虫類のような変温動物になったのだと思うのもそれほどおかしなことではないのではないか。

 人間の最大の特徴は理性で、論理的に物事を考えて自分自身をコントロールすることが可能なところだと思うが、動物的なところを捨てて理性と論理だけで行こうとすると無理が生じてしまう。例えば摂食障害や強迫性障害などは、理屈や論理でコントロールできないところまでコントロールしようとしているところで全体のバランスを崩している状態とも考えられるのではないか。

 高度に発達した理性だけで動くことができればある面で管理は非常に楽だ。体や心の調子によってペースが乱されることはない。しかしこれが行き過ぎると、例えば女の人は結婚や妊娠で休む可能性があるから採用するのをやめようとか、自分や家族の病気で突然仕事を休まれては困るとか、有休も極力とるなという話になってしまう。私たちは人間でもあり、かつては魚類でも両生類でも爬虫類でも鳥でも動物でもあったものでもあるわけで、理性だけで動けない、コントロールできないものも持っているのだ。

 理性だけの管理しやすいロボットにはならない。そう思ったところで体温調節の難しさは変わらず、ただの気休めかもしれないが、自分自身のどうにも止められない汗からあれこれ考えてみた。

 

 

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