未来への安心感

長谷川泰子

 

 考えてみると、自分が大学生の頃に講義を聞いていた先生方の当時の年齢とほぼ同じ歳になっている。以前、学生時代の友人と話をしていた時に、私の指導教官だったX先生は、あの頃、今の私たちよりも若かったんだよね、と言われてびっくりした。今から30年ぐらい前、当時、私の通っていた大学に赴任してきたばかりのX先生は知識も経験も豊富なプロの臨床家に見え(実際そうだったのだけれど)、気軽に話しかけるのもためらわれるような、はるか上の人という雰囲気があった。その当時のX先生の年齢をすでに越しているということに驚きと若干の焦りや反省を感じたのである。

 

 カウンセリングの仕事をしたいと思って大学に入ったこともあり、心理学に関する講義は結構熱心に聞いた。当時、大学の校風もあってか、先生方は結構自由に、自分の興味・関心のあることを講義の内容にしていた。学会で話をしないといけない、その予行練習にと学会用に用意したものを講義で話した先生もいたりした。基礎的なことはあまり教えてもらえず、学生には難しすぎるような内容の講義もけっこうあったが、今から思うと、好きなことに熱心に取り組み、楽しそうに仕事をしている先生方の姿を見られたことに大きな意味があった気がする。当時50代後半だったとある先生が、講義の中でこれからこういうことをやってみたいと、まるで子供のようにイキイキと話しているのを見て、50歳60歳になってもやりたいことがいっぱいあって、あんなに楽しく生きられるんだと思い、ちょっとした安心感を抱いたのをよく覚えている。学生の自分には50歳の自分なんてとても想像がつかず、将来の不安もそれなりにあったのだが、楽しそうにしている“大人”を見て、歳をとって大丈夫かもしれないと素直に信じられるところがあったと思う。そう考えると、子どもにとってはあれこれ言葉で説明されるよりも、大人が楽しく生きている姿を見ることは、何よりも大きな安心感につながるところがあるのではないかと考えたりもする。

 

 

 臨床心理士という仕事の良いところのひとつは、定年がないことだと思っている。西村先生は、がんで声を失われても筆談で最後の最後までお仕事をされた。亡くなる2ヶ月前まで面接も教育分析もされていたし、研究会に参加され、筆談でコメントもされていた。経験が全てではないが、経験が十分に活かせる仕事だ。西村先生もよく、こんな面白い仕事はないと言っていたが、年を重ねてもいつまでも新たな発見があって、新鮮な気持ちで取り組める仕事だと思う。

 西村先生が最後まで熱心に自分の仕事を続けられた、その姿を見せていただいたことは、自分にとって大きな宝を頂いたような体験だった。自分なりの道を行けばいい、そう信じて一歩を踏み出す勇気を与えたられたように思う。

 

 

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