芯になるもの

長谷川泰子

 

 もうすぐ西村洲衞男先生の一周忌です。一周忌にあわせて何か書こうと思ったのですが、何を書いてよいか分からないというのが正直な気持ちです。この一年間、あっという間でした。目の前のことを次々とこなしていくことに必死で自分でもよくここまでやってきたなと思います。

 いろいろな支えや動きがあったからこそ何とかここまで来られたのですが、外的な動きでなく、自分自身に目を向けると、自分が臨床心理士であるということが芯となりここまでこられたように思います。自分にとっても相談室にとっても西村先生の存在を失ったことはとても大きな、危機的状況とも言えるようなことでしたが、臨床心理士であるということで、自分はこの体験をどう超えていくのか客観的に観察しようとする態度、もっとはっきり言えば好奇心、が出てきて、それが前へと進む力になっていたように感じるのです。

 臨床心理士として仕事をしていると、ある面でとても貪欲になります。いろいろなことをより深く、より幅広く知りたいと思うのです。見聞きすること、自分自身が体験すること、全てが臨床心理士としての仕事につながります。芸人にとっての「芸の肥やし」のようなものかもしれません。西村先生は昔よく、「よい臨床心理士になるためには、おいしいものを食べて、たくさん遊んで、いい恋愛をすることが大切だ」と言っていました。いかにも先生らしい言い方だと思います。自分自身が様々な経験をして、人生を楽しむことが大事だと言いたかったのではないでしょうか。

 もう20年以上前のことになりますが、私が学生時代には私たち学生と西村先生とで夏に合宿と称して海の近くに泊り込みで出かけていました。学生の方はせっかく西村先生と一緒に行くのだし、臨床心理士になりたくて大学院にまで来ているのだし、とにかくいろいろ勉強したいのです。事例研究などをめいっぱい詰め込んで予定を立てるのですが、先生は海水浴やバーベキューなど遊ぶことばかりに熱心で困りました。なんとか先生の気持ちを遊びからそらそうと皆で必死になった覚えがあります。目的地に向かう道中も、好奇心いっぱいの先生があそこに行きたい、ここに寄ろうと言い出すのでは、そうすると合宿のスケジュールが狂ってしまうと心配し、皆で先生に話しかけてよそ見させないようにしようという作戦を立てたりもしました。今から思うと、せっかく西村先生と海に行くなら思い切り遊べば良かったのにと思います。

 改めて西村先生のブログを読み返すと、しばしば河合隼雄先生について書いているところに目が行きます。学会でも河合先生をテーマに自主シンポジウムを企画されたりもしていました。河合先生を敬愛し河合先生にこだわりながらも、独立した存在として自分はどう生きるか、どう仕事をするかを常に考えておられたのだと思います。

 西村先生は、時に厳しくだめなものはだめだときっぱりした態度を崩さないところがあり、非常に男性的で父親的なところがありました。しかし常に優しくあたたかく母性的なところもたくさんもっていました。また、もっと身近に親身に接してくれる兄・姉のようなところもありましたし、同時に茶目っ気たっぷりでなんでも大目に見ないといけないような気にさせられる弟・妹みたいなところも持っていました。こちらが先生をまるで子どものように面倒を見てしまうところもあり、友達のような感覚で気軽に遊んだり話したりできるところもありました。西村先生は私たちの必要に応じて、何にでも、どんな立場にでも、男でも女でも、年上にも年下にも抵抗なく変身してくれるようなところがありました。しかし一方で、西村先生は何になったとしても自分自身であることは絶対に譲らなかったように思います。誰からの押し付け・強要にも従わず、絶対の自由を維持し続ける強さを持っていました。

 こういう先生を近くで見てきて心理臨床を勉強してきた自分は、西村先生がいなくなった今、どう生きるのだろうかと考えます。西村先生のところまで運んできた無意識はこれから私をどこに運んでいくのでしょうか。それを冷静に、好奇心を持って見ている自分がいます。

 

 

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