西村洲衞男先生と沖縄と私

 

比嘉 愛

 

令和2年度が過ぎようとしています。ここで西村洲衞男先生について少し書き記しておきたいと思います。とはいうものの、何からどうやって書いたらいいものかと思って中々進まないのですが、タイトルはパッと思い浮かびました。私は今愛知に居ますが、社会人になって3年までは地元の沖縄に住んでいました。先生は沖縄に親しい方がおられたり、また沖縄自体に関心があったようで、セミナーも兼ねて何度か行かれていました。ブログにも書かれていますね。

その中でも、先生は「もあい」にとても関心を持たれていたようでした。「もあい」とは大体月に1回仲間で集まり、決まった金額を集めてそれを順番に毎月メンバーの誰かがもらうという仕組みです。友達で集まったり親戚で集まったりとメンバーはそれぞれです。私は今はお休みの状態ではありますが高校時代からの友達とやっていました。その中には保育園・中学校からの友達もいます。たわいない話をするだけのたわいない時間ではありますが、先生が「もあいは沖縄のたましいの場所である」と記されているように、こころの拠り所になっていたのだと感じます。

 

先生は“たましい”という言葉をとても大切にされてもいました。ブログにも何度も出てきていると思います。先生が手術をされる前日、私は先生に会いに行きました。何か先生にやれることはないかと考え、子どもの頃にやっていたあることをして差し上げようと思いつきました。しかし、面会終了時間間際でしたし、そんなことやって何の意味があるかと気が引けてやらずに帰りました。でも、病室を去る時の先生のお顔が何とも、心ここにあらずといったように感じたことが気がかりで、がんセンターから八事辺りまで行ったところで引き返して病室に戻り、あること、「魂込み(まぶいぐみ)」をして差し上げました。

 

「魂込み(まぶいぐみ)」とは、調べてみると日常生活の中で、思わぬ事態に遭遇して腑抜けのような状態になった(マブイを落とした)時に行うおまじないのようなものです。私はこの時まで、「魂込み」という名前があることも知らず、子どもの頃に遊び感覚でやっていたことにそんな意味があったのかと驚きました。ちゃんとしたやり方は別にあるのですが、思い出したのは、例えば学校の帰り道に友達が何かに驚いてぼーっとしている時、「まぶやーまぶやーうーてぃくーよ~(たましいよ、戻ってきてください)」と3回唱えて、落としたまぶい(たましい)を両手ですくい上げてその子の胸元に返すように手を当てていました。現在はわかりませんが地元ではそれくらい当たり前のようにやっていたものでした。

 

当然のことながら先生は驚かれて「何したの?」と筆談で言われたので、「おま

じないのようなものです」と答えました。手術の後、個室で沢山の機械に囲まれた先生に会いに行ったとき、開口一番(実際は筆談ですが)に「おまじないがきいたね」とおっしゃいました。何時間にも渡る大手術と聞いておりましたし、お顔は腫れ上がっていて、やっと目を開けられたような状態の時でしたので、そうおっしゃられたのに驚きました。

 

また、手術後、先生はリハビリのためとにかく歩くこと、食べられるようにすることを頑張られておりました。そんなある時に先生が弱気なことをおっしゃられていると知り、病と闘っている先生に対してとても失礼なことをしたなと思うのですが、元来怒りっぽい私は何だが腹が立ってきて、先生宛に“そんなことを言う先生に腹が立っている”という旨の手紙を書いて病室において帰りました。その日は平日で面会時間に間に合いそうもなく、とりあえず手紙を書くことにしていました。その手紙を私はそれこそ怒りながら書いていたのですが、書いているうちにふと戦争のことを思い、先生は今戦争のような体験をしているのかもしれないとも思いそれも手紙でお伝えしました。先生がどう思われたのかは分かりません。

 

先生が亡くなられたのは623日です。その日、沖縄は「慰霊の日」で学校や仕事はほとんどが休みになり、戦没者の方々への哀悼の意を込めて祈りに包まれる1日となります。

 

先生は、頑固で偏屈でわがままで気難しい面がおありだったと思います。その一方で、どんな世代の人やものに対しても良いものは良いとしっかりと受け入れられたり、自分が悪いと思ったら子や孫ほど違う年齢の私にでさえとても丁寧に謝られたりと、私が言うのはとてもとても烏滸がましいのですが、自身のたましいに対して素直さ、謙虚さを持ち、そして、大人であれ子どもであれ誰に対しても対等であろうという姿勢でおられたように思います。

 

写真は先生が最期を迎えられた病院の玄関前にあった木です。20205月、6月のことでしたので面会は叶いませんでした。そのため何度かお手紙を渡しに病院に行ったのですが、すぐ帰る気にはなれず、その木の前にあったベンチに座りながら、しばらくぼーっとしていたり、同様に先生を訪ねて来られた方と少しおしゃべりをしたりしました。ここは花木の手入れがとても丁寧にされていて、先生の病室のベランダからもお花畑がよく見えたようです。先生の病室から私のように会いに来た人がどうにか見える場所があり、先生のお顔をほんの少しだけ拝見することができました。少しホッとした気持ちと同時にそのベランダの窓の厚さに何とも言えない思いも抱きました。この時期のこの状況下のことです。同じような思いをされた方は少なくはないでしょう。

 

 

先生は古いものだけではなく新しいものにも興味関心をお持ちで、好奇心旺盛と言いますか若干ミーハーなところもあったように思います。SNSが流行り始めた時には、片手に携帯を持ちながら「これからはこういうもの(SNS)も大事なんだよ」といったようなことをおっしゃられて、茶目っ気たっぷりに微笑んでいたことを覚えています。