長谷川泰子
西村先生は実に様々な人とのお付き合いがあった方でした。先生ががんを告知されてから、いろいろな方が先生のところに来られたり連絡をしてきたりしていましたが、それを見ていて改めて先生の幅の広さに驚きました。
西村先生ご自身も様々な面を持った方でした。人によって先生の印象は全く異なるのではないでしょうか。ニコニコして優しい穏やかな人だという印象を持つ人もいるし、厳しい怖い人という印象を持つ人もいます。どれも先生の持つ一面だと思います。母性的で包み込むような温かさがあり、どんなに年下だろうが分け隔てなく対等に接してくださいました。しかしだからこそ、年下だろうが経験が浅かろうが手加減せずに真剣勝負でぶつかってもこられました。先生に本質を突いたことをズバリと言われ、言葉が出ないような思いをした人もいるのではないでしょうか。私もそういう体験を持ったひとりです。ダメなものはダメだと甘えを許さず、物事を明確に区別するような父性的な厳しさも持った先生でした。西村先生はいろいろな面を持っている「わけが分からない人」だから、変に関わると混乱するので距離を取ろうとしていた人もいたように思います。
実際、西村先生はその時々で言うことが180度変わってしまうところもありました。
私が読んでいる本について「そんな難しい本を読んで」と批判的に言われたことがあります。しかし別の時には「もっと勉強しないとだめだ」と、あれを読めこれを読めと言われたこともあります。先生が「そんな難しい本」と言った本も、もともとは先生が勧めてくださった本でした。
表面的には先生の言葉は矛盾だらけですが、しかしどれもこれも本当のことです。われわれ臨床心理士は本ばかり読んでいればいいというものではありません。本から得られる知識だけで一人ひとりのクライエントに向き合っていくことはできません。むしろ難しい本を読んで分かった気になっていては困るのです。私のスーパーバイザーの先生にもずいぶん昔に「心理学の本なんか読んだってなんの役にも立たない。それより小説を読んだり音楽を聞いたり映画を見たり、そういったことの方がずっと大事だ」と言われたことがあります。しかしだからと言って心理学の本を全く読まずに経験だけを糧にやっていこうというのも大きな間違いです。本を読んで勉強することもおろそかにはできないことです。
相反する事柄の中で、自分はどうしていくのかを自分で考えるということが大事なのだと思います。言っていることが違うじゃないかと腹を立てるのは、言われたことだけを言われたとおりにやるだけの受身的な人間だと言えるかもしれません。矛盾する事柄を自分はどう考えるのか、そこに自分らしさが出てくるのだと思います。
先生は矛盾したことを言うことを全く恐れませんでした。矛盾とも感じでいなかったように思います。その時その時に本当だと思うことを大事にされていたと思います。相反する物事や自分とは異なるもの・正反対なものを受け入れることを恐れず、むしろそれは自分自身の可能性を広げることにつながると思っていたようにも感じます。箱庭のおもちゃについて西村先生が「何があってもいいんだ。人間のこころにはありとあらゆるものがあるんだから」とおっしゃっていたことを覚えています。西村先生はどんなものを取り入れても揺るがない強い自分を持った方でした。
人のこころの中には様々な要素があるのでしょう。一見矛盾するようなものでも、いつかはどこかで新たなバランスを見出すことができるのかもしれません。矛盾するものを切り捨てることは自分自身の一部、自分の可能性切り捨てることになるのかもしれません。