安心の源泉と自分の目覚め

最近「自分がない」とか「安心できない」という人に出会う。その方たちは沢山沢山夢を報告される。そして夢の意味が分からないから聞いていて眠くなる。

 そういう人には最近、自分の過去、思い出したくないこと、カウンセラーにも話せないことを、自分自身に向かって確かめるように書いてくださいと言っている。その内容は必ずしも私に言わなくても結構です、自分自身に向かって書いてくださいと願いしている。そうするとたいていはカウンセラーに報告されないけれどその次から夢が減ったりわかりやすくなったりするから不思議である。

 過去の経験の真実が自分に明らかになると人は安心する。幻想でなく、現実の真実に立脚すると安心し、自分が芽生え、自分の目が開けるのではないか。

 「真実は虚しからず」、現実の真実こそ安心の源である。現実の真実こそ虚しくなく、確実に存在する自分の礎である。こうして安心の源を得てそこに自分が誕生するのではなかろうか。

 「真実は虚しからず」というのは般若心経の終わりの方の4字「真実不虚」である。その前に「能徐一切苦」という言葉がある。

 能徐一切苦とは般若心経の目的である。般若心経は心理療法の基本を説いたものである。

 般若心経の前の方に色即是空、空即是色などとあるけれど、それよりも現実の真実は虚しくない、そこが重要だととった。これは金岡秀友氏の解釈に法っている。関心のある方は金岡秀友著『般若心経』(講談社文庫)をお読みください。