子育ての終わり

心の相談は3月末で区切り来ることが多い。

今年も何人もの方が子育てを終えられた。子どもの結婚、就職、大学進学などを契機として親の役目が終わった。

小学校高学年からずっと不登校で、高校はフリースクールに通った子どもが無事大学に進学した。入学式について行くと、子どもはすでに携帯で同じ学部に入学する人と連絡を取っていて、その友達と出会うとさっさと入学式の会場に入っていった。その子は元々女のグループに入れない自立的な子どもだったから、大学に入ると自立して友達を見つけ、親離れしていったのである。

ついて行った母親は何もすることがなく、置いて行かれてしまって、自分の心を整理したいと言って相談にお出でになった。

今まで、不登校のためにずっと心にかけてきた子どもが内的にはしっかり自立していて、何も心配ないように見えた時の親のショックは言いようの無いものではなかろうか。多分空っぽの状態である。

娘が結婚した後、病気になったり、突然いのちが尽きてしまうことは珍しくない。以前に空の巣症候群という言葉が流行ったことがあり、今もそれは無くなったわけではなく、毎年多くの親が経験していることである。

ある方は前もって将来のことを考えておられて幸いだったが、その連れ合いの方が身体の病気になられた。連れ合いの方は子どもの自立に当たって何も心配されてなく、我関せずと思えたが、実は心ではなく身体の方に親意識があったのではないかと思う。

親に心配をかけた子どもほど、その子が自立する時は、子どもの自立を喜ぶと同時に自分の自立を図らねばならない。それは夫婦の支えあいでも可能だが、原則として一人ひとりが自立する必要があるのではないかと思う。

子育てを終わった者は、老人になって自分の人生を如何に生きるか一人ひとり考えておかねばならない。それを考えないと、後に待っているのは呆けである。痴呆症といえば今は脳の障害のように思われているけれど、心の方から見ると、呆けは身体だけ生きてたましいが死んでいる状態ではないかと思う。たましいが死ぬと知的機能の精神はバラバラになって、統合性が無くなってしまう。認知症は老年期の統合失調症ではないかと思う。

 

空の巣症候群とは、たましいを担っていた気がかりな子どもがいなくなって、たましいを喪失した状態である。たましいはどこに行ったのか?子育ての終わりと同時に自分のたましいの発見が大切である。