臨床心理士のタイプ

※8月11日に投稿した「カウンセラーの資質」(このブログは見つかっていません:スタッフ)の改訂版です。

今年の心理臨床学会第31回秋季大会で研究発表するにあたり自分の事例研究をどのような人に向けて話をしたら良いのか、発表して誰が聞いて参考にしてくれるのかを考えているうちに臨床心理士のタイプを考え始めた。

心理療法家はいわば人生の旅の案内人であり旅人でもある。そこで旅のタイプで臨床心理士を分けてみた。

まず3つのタイプを考えた。

第一は修学旅行タイプである。修学旅行は学校側が行き先や行った先で何を見るか何をするか大方決めている。スクール・カウンセラーがこれに当たる。スクール・カウンセリング・ワーキンググループが勤務校を決めてくれ、学校の相談担当の先生が問題の生徒や相談の必要な親を呼び出してくれ、スクール・カウンセラーは相談室でその生徒や親に面接すれば良い。年何回か研修会も開かれ研修を受けることができる。何か大きな問題が起こったときはスクール・カウンセリング・ワーキンググループが対応し援助してくれる。至れり尽くせりである。このスクール・カウンセリングの仕事をする人を修学旅行タイプと呼ぶことにした。

第二は旅行社タイプである。旅行社はJTBなど伝統のあるところから、高級な旅行社、何やら怪しげな旅行社まで様々である。まずはJTBなど伝統あるところに世話になると安全な旅ができる。旅先の見所、宿泊施設、食べ物、必要な携行品、そして起こり得る危険性など配慮してくれる。

この信頼出来る旅行社、例えばJTBに相当するのは高名な心理療法の先生である。その高名な先生のセミナーに出ているといろいろなことを教えてくれる。個人的にスーパービジョンを受ければ、安全に心理療法の仕事をこなすことができるだろう。このタイプをJTBタイプと呼ぶことにする。

高名な先生たちはいろいろと本を書き、方方に忙しく講演会やグループの指導に出ていらっしゃる。先生方は臨床もしておられるが、大体は原稿用紙を前にして心理療法のことを考えて書いておられるし、あるいは話しながら心理療法の実際を考えて話をされるだろう。

ある高名な先生のセミナーに参加した人がその夜夢をみた。その夢はなんとイルカショーであった。先生の講演はイルカショーのように面白かったのであろう。
私は考える。果たしてイルカショーが心理療法の実際に役に立つだろうかと。その人にイルカショーと心理療法を結びつけて考える力があればよいが、ともすると「単なる面白い講演だった」と思い、「遠くまで勉強に行った」ということで自信がつくのであろうか。

高名な先生は原稿用紙の上で考え、話しながら考えているから、話の内容はすっきりして面白いだろう。旅行社の団体旅行が良いとこ取りの上滑りの観光旅行になるように、高名な先生の指導も上滑りである可能性が高い。だから自分が実際に経験する心理療法の面接とズレてくる。いつまでたっても自分の面接は高名な先生のレベルのようなすっきりしたものにならない。それは理想と現実の違いのようなもので、JTBタイプの臨床心理士はいつも理論と実際の違いのようなズレを意識し、自分の心理療法に至らなさを感じているに違いない。と私は考えてみたが、みなさんはどう思われるであろうか?

第三のタイプは一人旅タイプである。自分で行き先を決め、現地の事情について調べ、航空券を手に入れ、ホテルを予約し、観光地への列車やバスの時刻を調べて旅行の計画を立てる。現地でどのような問題が起こるかも調べ、問題が起こったときの解決法考えておかねばならない。何事も自分できめる自由と共にすべての危険を引き受けねばならない。一人旅をする人はレストランで、バスの中で現地を肌で感じてくる。

このような独立的な、一人旅タイプの臨床心理士がいる。このタイプの臨床心理士は実際に現実においても外国への一人旅の経験者だから面白いと思った。そのことをある人に話したら早速外国へ出かけていった。その後次々に面白いことが起こったから不思議であった。

このタイプの臨床心理士の仕事は経験と考えにズレがないから、面接内容についての話がしっかりとできるし、心理療法も上手く行っていることが多い。

さて、私自身はどうか?自分はこの三つのどれにも入らない。そこで第四と第五を考えた。

第四のタイプは自分一人の世界にこもるいわば仙人タイプである。私はこのタイプである。自分なりにかなりの臨床経験を積み、自分の仕事にある程度確かな自信と誇りを持っている。年配の男性の、特に開業の臨床心理士にはこのタイプが多いのではなかろうか。

指導を受けに来る人も大勢ではない。学会にも呼ばれることがないと出て行かない。ひたすら相談室にこもっている。スクール・カウンセリングも収入の心配がなければしない。自分の相談室での面接に比べるとスクール・カウンセリングは面白くないからである。

孤独だから自分の中で一所懸命考えている。こうしてブログのエッセイを書いている自分がそうである。そして話ができる研究会に出ると途端におしゃべりになる。話し出したら止まらない。日頃孤独な分、人と関わろうとするがその反面で聞く耳を持たないようである。孤独な中で内省して考えているから進歩していると自分では思っているが、本当は自分の中でグルグル回っているだけで何も進歩がないのではないかと恐れる。

このタイプに相当する女性の臨床心理士は何か、と考えた。それは女子会タイプである。第五のタイプに女子会タイプを立ててみた。年配の女性は仲良し同士で集まって先生は入れず、自分たちだけで様々なことをしゃべる。女性にとってはしゃべることは呼吸するように大切で、クライアントのこと、親のこと、学校の先生のこと、その場にいない仲間のことが話題になり、思う存分しゃべる。大きく呼吸するようにすごい開放感を味わうことができるだろう。しかし、開放感だけで何も進歩がないのではないか。孤独な仙人タイプと対照的ではあるが内実は同じである。

以上の考察から私の事例発表をきちんと聞いてくれるのは一人旅タイプの人ではないかと思った。

仙人タイプの私の反省

私が仙人タイプなら私に会うクライアントは私と同一化して仙人的になるかもしれない。それは良くないことだ。

クライアントは大体社会性がなくて困っているのだから、カウンセラーである私自身が社会化する必要があると思って外に出ていくことにしている。カウンセラー自身の社会性は表に出るわけではないがうちに秘めた雰囲気として重要なものではないかと思う。そのために社会化の努力をしなければならない。今度の心理臨床学会での事例発表もその一環であった。老人ホームや児童養護施設の人々との接触も私にはたいへん役に立っているように思う。社会に役に立つ自分がクライアントにとって意味があるのではないか。

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