人生の開き直り

昨日昨年から通っていらっしゃった方の面接が終了した。

昨年は世の中全体が不景気で先行きが暗い感じであった。そういう時人はこれからどうなるだろうと心配になる。そういう悩みを仕事の後の飲み会で話ができると、だいたいみんなも同じようなことを心配しているのであるから、お互いに同じような思いを持っていることがわかって互いに同じ思いを持っていることで安心するものだ。しかし、車社会になって仕事の帰りに飲む機会が少なくなってお互いにわかりあう機会が少なくなってきた。そこで男性もカウンセリングに来られるようになった。

カウンセリングにお出でになっても定年退職した年寄りの年金暮らしの、あまり生活に不安のない私のようなカウンセラーが相手をしてもどうかなと心配する。ただ、私もその頃には一応同じ悩みを悩んできたからこれは考え様によってなんとかなると思うのだ。開き直りだ。

開き直りはどうしたらできるのか、開き直りは自分で自分に責任を持つことではないか。拠って立つところがないから不安なのだ。世の中や会社に頼っていると先行きどうなるかわからない。拠って立つところを自分自身に定めると責任は一挙に自分にかかってくる。その時の先行きの不明さに正面から立ち向かう自分ができると、先行きの不明さは亡くならないが、自ずから問題は解決する。責任はすべて自分にかかってくる。それがまた喜びにもなる。自分の人生がそこに開けるのだ。

その方は朝早く相談室にお出でになってまずトイレに入られた。男はトイレに入るのにずいぶん気を使うものである。指揮者の岩城宏之さんも演奏で指揮台に立つ前にトイレに行きたくなるけれども人知れず行きたいので大変気を使うとエッセイに書いておられた。自分を表に出したくなる時トイレに行って大便をしたくなる。便器に座ることによって開き直り聴衆の前で自分の指揮ができるようになるのだ。便器に安心して座ることによって自己実現できる感じになるところが心理学的に面白いとみなさん思いませんか。腰を据えるということはそういうことを背景にしているのだ。

その前日は長年ウンチがまともに出来なかった男の子も相談室のトイレでウンチができた。子供も親もそして私たちも喜んだ。今日はお祝いだねと言って別れた。

悩みを悩みきる、腰を据えて悩むと本当に深い喜びがあると思う。開き直りの完成である。

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