河合隼雄先生はこうおっしゃった1 今日も田んぼを買った夢を見た

スイスから帰国された河合隼雄先生は京都市カウンセリングセンターの嘱託として毎週お出でになることなった。

その頃京都市カウンセリングセンターは四条河原町の高島屋の裏にあった永松小学校の中の3階建ての教育研究所の3階にあった。廊下はリノリュウムが張ってあり、事務室には大きな鏡が上についたマントルピースがあって古いけれどとてもしゃれたものだった。

私はその事務室を出てどこに行くつもりだったか覚えがないが、朝お出でになった河合隼雄先生に廊下で出会ったら、「今日も田んぼを買った夢をみた」とおっしゃった。

自分が見た夢は人に話さないとわからないから言ってみるのだとおっしゃった。

先生はこのように次々にユング心理学を植え付ける田んぼをお買いになったに違いない。その田んぼは全国に広がりアメリカやヨーロッパにも広がって、日本では河合隼雄先生のユング心理学で育った臨床心理士が増えてきたことは多くの人が見てきたとおりである。

 

私も教育分析を受けて終わりの方で田んぼの夢を良く見た。山の棚田の水田で水がとてもきれいで若々しい稲の苗が植わっていた。

この夢のように名古屋に移って3年目から私に教育分析を受ける人が出て来て、ユング心理学を教える機会も出てきた。東海箱庭療法研究会もその頃始まった。私の田んぼでカウンセラーが育ち始めたのだった。

それらのカウンセラーは教育分析を続けているうちに少なくとも一つの事例をものにして心理臨床学会に発表した。それらの事例は不思議と河合隼雄先生がコメントをされることになり大会場で多くの人を前に披露された。ビッグケースをもってデビューされたと思う。

それらの事例は今ではもっと高名になられた先生方の指導も受けていたこともあり、それらの人々はみんな独立され、私の元に残った人は一人もない。みんな独立されそれで良かった。

私は夢に見た通り、棚田の清らかな水で臨床心理士の若い稲を育てただけだった。それらの稲が大きく育ち、収穫ができるまでになったのは偉い先生のお蔭である。

私の役割は若い稲を育てることだった。それは日本のピアノの先生が音楽大学に進学する若い人々を育てるのに似ている。それらのピアノの初歩を習った人々はいずれヨーロッパの偉い先生について腕を上げ、有名なコンクールで優勝して世界の注目を浴びる。コンサートで紹介されるときヨーロッパの先生の名前は出るが、その人を最初に育てた日本の先生の名前は出ない。そういうことで晩年うつ病になった先生があったと高名なO先生がおっしゃった。この話は私の心に残り、自分も同じ立場だと気づいたとき、この事例で救われた。自分の仕事は棚田での植え付けだけだったのだと納得した。

 

それから30年近くたって私はまた田んぼの夢を見た。大学を定年退職する少し前であった。

田んぼは木が茂って日の射さない日陰にあった。ササユリの咲くような裏斜面にその田んぼはなった。水はほとんどなく黒いぬかるみの田んぼの畔塗を私はしていた。こんなところで稲が育つのだろうか。そこには苗さえなかった。

退職後私のところに心理療法を学びに来る人はほんのわずかである。夢の通りであった。

その後明るい広々とした田んぼを作る夢をみた。けれども苗を植え付けることはなかった。

そして今に至っている。

今私のところに教育分析を受けに来ている人が少しある。その中で心理療法がうまく行くようになった人がある。何故かわからないが成功例が続く。他の人がうらやむほどである。事例のスーパービジョンはたまにしかしないので、たぶん教育分析の深化が心理療法の成功を導いているのだと思う。

私自身もその一人だと思う。自分もこれまで夢日記をつけ、機会あるごとに夢の意味を考え続けてきた。その結果、今いろいろな相談がうまく行っているのだろうと思う。良い結果が出るから毎日の相談が苦にならない。

私が夢に見た苗の植わっていない日陰のドロ田は退職後の3年間の状況かもしれない。そのうつ的な状況を反映している。そこは陽が射さず植える苗が無いように、現実でも学びに来る人が少ない。そんなさみしい状況を夢は私の退職前に予言していたのだった。

大学を定年退職してこの4年間私は元気に働いてきたつもりだったけれど、それはどうも内実の伴わないカラ元気、つまり躁状態のせいだったかもしれない。疲れを知らなかった。しかし、最近面接でやたらと疲れを感じるようになった。自分が身体を持っているのだということがわかる。体も使って面接するようになれたのだ。

私はこの4年間一番力を注いできたのはうつ病の心理療法であった。それらの人はある程度治ったので学会に行って発表した。それはまた自分のうつ状態を治すことでもあったのではないか。驚くことに心理臨床学会の雑誌『心理臨床学研究』の20年の成果の中にうつ病の心理療法の論文が1つもないのである。(青年期の躁うつ病の事例は一つある)学会に事例発表したのは私だけだった。私はやはりよほどの変わり者に違いない。

私はうつ状態から解放されて本当に身体も同化して元気になったのではないかと思う。心理面接で今までは身体を使うことが少なかったが、この頃では体も使って共感しているのではないか。困難な状況にある人の苦しみがわかり暗い気持ちにもなる。だから疲れる。

私は田んぼに入り泥の中を這いずりまわりながら仕事をしているのではないか。百姓の子として育った私には机の上の原稿用紙の中で心理療法を考えるのは性に合わないのではないか。私は理論家と言うよりも実際家らしい。今では広い田んぼで少ない人を育てている。臨床心理士もクライアントも自分も区別はない。一人一人が陽の当たる明るい田んぼで育っていると思う。

確かに私の相談室は広すぎるかもしれない。アパート一つ分で十分なところを二つも使って、しかもプレイ・セラピーもできるのだから贅沢である。陽当たりのよい広い田んぼとはこのことだろう。これからこの田んぼを活用したいものである。