現代女性の結婚の難しさ

 若い独身の女性に分析を行うと必ず結婚のテーマが出てくる。夢は沢山出てくるもののなかなか結婚の方向へ深まって行かない。デートしてもあまり続かないことが多い。

 彼ができて付き合っている、つまり、体の関係ができているとかしょっちゅう一緒に居たい人たちは結婚へと進んでいく。しかし、メールで付き合ってたまにデートするような関係ではなかなか深まらずいずれ関係は切れてしまう。

 結婚は本人が望んでいてもなかなか難しいものである。

 どうしたら結婚できるのだろう。どういう条件が整ったら結婚できるのかを考えてみた。

 結婚に至るには好きになった男性をいつも一緒に居たいという気持ちが強くあることが第一条件であることは間違いなかろう。

 いつも一緒に居たいというのは考えではなく気持ちである。それは動物的なレベルの感情ではなかろうか。動物レベルのくっついていたい気持ちから何かが生まれてくる。性的な体の関係のレベルで動き始めるのではないか。ドキドキわくわくの感情に包まれる。頭で考えるものではない。恋愛感情が出てくると理性ではどうにもままならなくなるのではないか。

 合コンして相手が見つかってもなかなか続かない人は首から上と下が切れているのではないか。頭で結婚を考えてみるが、男性と会っても首から下が反応しないのではないか。好きな人と楽しく食事をしてもわくわくドキドキにはならない。きわめてあっさりと別れて帰ることを当然としているのではないか。フランスやイタリーでは考えらえないことらしい。

 このようなタイプの女性は良く勉強した男性的な女性や家のため家族のために生きている女性に見られる。

 また、一方男性と深い中にあっても、男性がバンドやサッカーなど男性仲間と楽しい時間を過ごすことが好きな場合、その男性は高校生か中学生レベルでいわば部活にはまって出られない人たちで、彼らには家族を作りたいという考えが乏しいことがある。そういう男性にとって彼女は友達以上のものではなく、結婚に至らない。こういう男性には早く見切りをつける必要がある。

 知的に自分を高めた女性が、いわば首から下の動物的な心を受け入れるにはどうしたら良いのかそれが問題である。現代の女性は知的に自分を磨き高め、専門職についてキャリアを積むことを理想としている。そういうキャリアへの道と結婚の満足を得ることは大変難しいことになってきている。男性とたまのひと時だけ動物になることは至難の業だから。

 女性にとって動物的な心を受け入れるのは一大事業であることは今も昔も変わらないとも思う。「誰も寝てはならぬ」という歌で有名なオペラ「トゥーランドット」は結婚したくない、つまり熱い愛がわからない氷のような女性の物語である。昔からこの性の受け入れの問題はあったのである。それは熱い男性の愛によってのみ氷解するのだろうか?その熱い愛を分析の中でどのように経験させたらよいのだろうか。

イタリアのオペレッタ「チンチラ」は結婚してもセックスを知らない男女にセックスを教える物語である。チンチラは男性に教える娼婦で、女性の側の教師は女の人に激しく抵抗されるが、表に出てきたときには二人ともハッピーになっているというコメディーである。

 女性の性の受容の難しさはどこの国でもそしていつの時代でも同じらしい。現代の日本の女性の難しさは、もう年になったから結婚しなければならないという年齢限界が無くなったことにあるのではないか。無理して結婚しなくても良くなったのだ。