もっと自信とプライドを

 私のところにときどき他所でカウンセリングを長年受けてきた方がお見えになることがある。時にはもう10年くらいカウンセリングに通っておられる方がある。

スクール・カウンセリングが始まってもう15年もたつので、中学、あるいは、高校からカウンセリングを受けていると10年以上の人もあることになる。大学時代学生相談室に通っていてそのままどこかのクリニックで面接を継続される方も少なくないだろう。

 長年他所でカウンセリングを受けられた方で、精神分析の感情転移を問題にするような面接を長年受けてこられた方がある。ある人はわりに勉強している臨床心理士に面接をうけてきたのだが、境界例、あるいは、アスペルガーとして見られてきている。

 そういう方に会って私が感じたのは、他のカウンセラーは習い覚えた心理療法の型にはまって面接をしているということであった。

 一般的に、人は親に不満をいっぱい持っているので、その不満に基づく攻撃性を精神分析を学んだカウンセラーは何とかしようとする。親への恨みはなかなか消えないから分析は長年かかる。ある人は指導する先生が境界例の専門家だったからであろうか、ずっと境界例的な観点からみられていたように思われた。健康保険が利けば負担は軽減されるが、これが有料の相談室であれば、何十万もつぎ込んだことになる。それでも治らないのは悲しいことである。カウンセラーも気が重いことであろう。

 特定の学派に属することもなく、流行の境界例や発達障害・アスペルガーに左右されない私の立場は少し自由だから、この人のさしあたりの問題はなんだろうと考える。そして生活の立て直しをまず考える。ある人はその観点からみると何も問題がないので、これまでずっと続けてきたカウンセリングによって支えらえた生活を自分の自主的な判断で支えていく生き方に変えましょうと提案したことがあった。その人はその回では納得できず、次の回で私の言葉を確かめてきた。びっくりすることだろうと思った、これまでずっと心療科に通ってカウンセリングを受ける必要があると考えて、しかも、健康保険も利かない有料のカウンセラーまで受けにくる必要があると思っていたのだから。

 しかし、実は、自分の判断で生活を支える生き方、それが一番大変なことで、これは発達障害や境界例という精神科的病気の治療ではなく、私たち臨床心理士の仕事であると思っている。生きるための自信とプライドを培う仕事、それが臨床心理士の仕事ではなかろうか。