孤独の大切さを思う

 定年後忙しい生活になっているものの、私は孤独になったと感じている。私の周りは若い女性カウンセラーやクライエントばかりで、ここに書くようなことで本当に語り合う機会が少ない。この前の箱庭療法学会の河合隼雄先生追悼シンポジュウム『河合隼雄と箱庭療法』は面白かったが、面白くない、期待はずれのこともあった。茂木健一郎さんも今日は不発であるといって帰って行った。この背景には現在の箱庭療法の行き詰まりがはっきり表れているのだが、それを話し合える人はいない。

 ここに至って私は自分の孤独な作業の大切さを感じ出した。

 茂木健一郎さんも本当は孤独な人であろう。クオリア日記を読むと毎日ブログに書いている。話し方からしても、ブログに書き込むその活動性からしても、明らかに多動である。この忙しい多動の世界から何か新しいものが生まれるかというと、多分何も生まれない。

 シンポジュウムの翌日夢を見た。「私は回遊庭園でいろいろな人に会った。(久しくあっていない人が声をかけられたのでうれしかった。)回遊庭園には方々に屋台のような出店があってそこにも知っている人がいた。両側に草の生えた自然の道の横に清流が流れていた。はじめ広い池と思っていたところはいつの間にか細い清流になっていた。小橋の上に立って、流れを見ると鮠のような魚が何匹も泳いでいる。一匹は沈んだ瓶の壁に白い腹を見せて横になったりしていた。死んでいるわけではない。みんな元気に泳いでいた。網があれば掬えるのにと思った。」

 この夢は、当日の状況を反映している。腹を見せた白い鮠は茂木さんかも知れない。茂木さんは今日は不発であると言いながら腹を見せるような姿勢をして嘆いていたから。茂木さんは清流ですばやく生きる鮠であるのか。

 新しいものは多動の反対の、うつの静かな世界への沈潜から生まれる。

 偶々、サン・テクジュペリの『人間の土地』を読んだ。

 サン・テクジュペリは郵便飛行機のパイロットとして多くの時間高空で孤独のなかにあったのではないか。知的に、そして冷静な判断を要求されるところで孤独であった。彼は空の高みから地球に住む人間のことを考え、哲学したのだ。

 「彼の偉大さは、自分に責任を感じるところにある。自分に・・、郵便物に・・、僚友に・・、・・生きている人間のあいだに新たに建設されつつあるものに対して責任があった。・・職務の範囲で、多少とも人類の運命に責任があった。」